昨日は九州でも雪が降った。本格的な冬の訪れとともに、ラグビーシーズンもいよいよ佳境に入ってきた。
高校は27日から「全国高校ラグビーフットボール大会」が始まる。今年で97回目を数えるが、横綱・東福岡高校(福岡県代表)の連覇を、どの高校が阻止するか注目される。
大学も各地域でのリーグ戦も終わり、すでに大学選手権の1、2回戦が終わった。帝京大学の9連覇を阻止する大学が、今年こそ現れるか興味が尽きない。
そして我が国最高峰リーグのトップリーグは、11月の各国代表戦月間も終わり、残り3試合。プレーオフを経て1月13日には決着がつく。現時点ではパナソニックとサントリーの2強が抜きん出ている。
( 11月23日の早慶戦で配布されていた両校のスポーツ新聞。学生サークルの発行紙だ。早稲田は早慶戦と書くが、慶応は慶早戦となる。1面を飾ったのは早稲田が宮崎県・高鍋高校出身の黒木健人副将、慶応は神奈川県・桐蔭学園高校出身の佐藤大樹主将だ。)
さて、私が応援する早稲田大学を始め、ラグビーのルーツ校・慶応大学、そして明治大学は、「関東大学ラグビー・対抗戦グループ(16校)」に属している。関東には他にも東海大学や、法政大学、中央大学などの属する、「関東大学ラグビー・リーグ戦グループ(47校)」がある。
歴史的な経緯があって、関東ラグビー協会の下、この二つのグループに分かれて、関東地区の大学ラグビーは行われている。
( 11月23日、秩父宮ラグビー場での早慶戦。早慶戦は若干の空席があったが、12月3日の早明戦は22,000人を超える観客で満員となった。)
その中でも、早稲田、慶応、明治の伝統校3校の対戦は、100年近い”対抗戦”の伝統を引き継ぎ、毎年OBも含めて盛り上がる。また試合日も早慶戦は11月23日(勤労感謝の日)、早明戦は12月第1日曜日の14時からと決まっており、伝統校同士の対決を古くからのラグビーファンは心待ちしている。
こうした伝統校優先の日程に、疑問を差し挟む意見もないではないが、毎年同じ日時に行われる重みも確かに感じる。
私が首都圏に転居してきて、スタンドから早稲田の試合を見始めた1980年頃は、早稲田FWの平均体重は明治の重量FWに比べると、一人あたり10kgくらい軽かった。FWは8人でスクラムを組むので、合計で80㎏、約1人分重さが違った。こうしたハンディを背負いながらも拮抗した試合を展開する、早稲田の悲壮とも見えるプレーに惹かれた。
今年のFWの体重合計は明治とほぼ同じだった。早稲田の選手もこの20年でかなり大型化してきたが・・・・
今年の3校の対戦は12月3日の早明戦で終わったが、3試合とも接戦の好ゲームだった。
結果は各校とも1勝1敗となり、対抗戦グループでは3校とも5勝2敗となり2位を分け合った。優勝は7戦全勝の帝京大学。
早明戦は、29対19 で明治の勝ち。 通算成績(93試合)は、早稲田の53勝2分け38敗。
早慶戦は、23対21 で早稲田の勝ち。 通算成績(94試合)は、早稲田の67勝7分け20敗。
慶明戦は、28対26 で慶応の勝ち。 通算成績(92試合)は、慶応の36勝3分け53敗。
私はこのうち、早慶戦に限って、94試合のうち40回近くスタンドで観戦してきている。
早明戦は80年代はチケットの入手も難しい時期もあり、観客席から見たのは数回だ。
2020年の五輪に向けて取り壊すまでは、隣の国立競技場で開催していたが、ラグビー専用競技場の秩父宮と違って、陸上競技のトラックがあるため、スタンドと選手の距離が遠いのが何となくスタンドでの観戦を避けていた理由でもあった。今年も早明戦はテレビ観戦となった。
(早明戦での試合前、校歌「都の西北」を歌う早稲田の選手たち。左端は秋田工業高校出身の加藤広人主将。スタンドのOBや現役の学生たちも起立して一緒に歌い、選手とOBらが一体となる瞬間だ。)
( 80分の死闘を終え、早稲田を10点差で破った明治は、応援席に駆け寄り喜びを爆発させた。)
( 早明戦のノーサイド直後の様子。エールの交換をしたあと健闘を称えあう両大学のフィフティーン。)
早稲田と慶応は、16日に行われる「第54回全国大学ラグビーフットボール選手権大会」の3回戦から出場し、明治は23日の準々決勝戦からの出場となる。選手権はトーナメント戦のため、負けたらその時点で彼らの今シーズンは終わり、4年生は大学でのラグビーが終わる。
( 早慶戦が終わり、いつものように銀杏並木側に出ると、少し落葉が進んでいたが、多くの方が見事な黄金色の風景を楽しんでいた。)
さて今年、早稲田の選手で私がワクワクしながら見ている1年生がいる。
入学直後の春から、先輩たちを押しのけてFW(フォワードのNo.8)のレギュラーポジションを獲得している選手だ。
下川甲嗣(しもかわかんじ)君。
18歳。187㎝・100㎏。福岡県立修猷館高校卒業。ラグビースクールの多い福岡でも、草分けともいえる1970年創立の「草ヶ江ヤングラガーズ」出身。
( 「ラグビーマガジン・8月号」より。)
福岡藩の藩校として、1785年開館の歴史を持つ修猷館高校は、福岡県随一の進学校としても知られ、私も大学時代には同校卒業の友人が多く、いまも親しくしている。親密さを覚える高校だ。
( 「福岡県立修猷館高校」 ・・・同校のホームページからお借りしました。)
福岡県には東福岡高校という高校ラグビー界の横綱がいるが、それに果敢に挑戦している高校には県立高校が多い。
下川君の修猷館高校もその一つだが、東福岡高校の壁が厚すぎて花園への道は遠い。実に40年前の1977年(昭和52年)に全国大会に出場したのが最後で、下川君らが3年生の時は、準決勝で東海大福岡高校に17対29で涙を飲んでいる。今年も同じく準決勝で、横綱・東福岡高校に0対113で負けた。
ちなみに下川君が3年生だった、昨年度の東福岡高校と修猷館高校の対戦を調べてみたら、春の九州大会の福岡県大会準決勝で対戦し、7対77で大敗していた。その時の相手の主将が、12月3日に対戦した明治大学のFW(ロック)として、1年生ながら出場した箸本龍雅(はしもとりゅうが)選手だ。昨年の高校生ではNo.1の選手といわれた逸材で、188㎝・110㎏の堂々たる身体である。
3日の早明戦でも、下川君が箸本君とぶつかる場面が何回か見られたが、いい勝負だった。2人は同じ福岡出身の同学年として、高校時代のチームの戦績は大きく異なるが、ラガーマンとしては、これから長く切磋琢磨していく良きライバルである。
今年1年生ながら、ボールの奪い合い、相手の守備をうち破ってボールを前に進めるための突進・・・どの場面でも下川君は相手が上級生だろうが、自分よりも身体の大きい外国人選手だろうが、正面からぶつかり前進する。
(対慶応戦での下川甲嗣君。彼はプレー中に痛そうな顔をしないし、息が上がった様子も見せない。”逞しい”の一語。)
高校を卒業したばかりの1年生と、大学3、4年生の体格や試合経験の差は大きいものだが、それを全く感じさせない下川君のプレーは見ていて気持ちがいい。
来年以降も、彼のプレーを見るのが楽しみになってきた。
16日の大学選手権3回戦の対東海大戦、早稲田と下川君の応援に行くつもりだ。
ラグビーが好きで40年近く早稲田大学を応援してきているが、私はOBではない。
1960年(昭和35年)秋の東京6大学野球、ラジオで聞いていた早慶戦で、安藤元博投手の連投で早稲田が優勝した頃から、早稲田を応援するようになった覚えがある。中学2年の頃である。その後ラグビーや箱根駅伝でも早稲田を応援するようになり、今に至っている。
大学受験では、今で言う ”記念受験” になるのだろうか、早稲田も受験させてもらい、その時は列車で24時間近くかけて初めて鹿児島から上京、早稲田のキャンパスに足を踏み入れた。女優の吉永小百合さんも早稲田を受験した年だった。吉永さんも早稲田ラグビーファンで、今でも菅平高原での夏合宿に、大量の肉を差し入れ応援している。
今の早稲田の選手たちは、若い頃のあの吉永小百合さんを知っているのだろうか。
『知らなかったら君のお父さん、いや、おじいさんに聞いてごらん。
嬉しそうな顔をして教えてくれると思うよ。』