「古稀(こき)」という言葉がある。

 

 

( 故郷の鹿児島県・霧島温泉郷にある「丸尾の滝」と紅葉 )

 

 

「古稀」は、数えの70歳(満69歳)のことで、長寿の祝いとされているが、調べてみたら、唐の詩人、杜甫(とほ)の曲江(きょっこう)詩の「・・・人生七十古来稀なり」に由来するという。

 

 

私も今年、70歳の誕生日に、家族からお祝いを受けた。

 

「70年生きる人は、古くから稀である」という意味だが、そのように詠んだ杜甫は8世紀の詩人であり、今から1200年前の70歳と、現代の70歳ではその生活環境や医療介護体制も大きく異なる。

 

 

しかし、自分が現実にその年になってみると、やはり「70歳」という年齢は、体力的にも身体の機能という面からみても、間違いなく一つの大きな節目という思いが強い。

 

 

「健康上の問題がない状態で、日常生活を送れる期間」のことを、「健康寿命」というが、平成25年の厚生労働省資料でみると、男性は71.19歳だ。

 

健康を害しても、医療や介護の継続的なサポートのおかげで、健康寿命よりも10年ほど延びて、男性の平均寿命は80.21歳となっている。

 

 

こうしてみると、人間がそもそも持っている本当の体力というものは、本質的には杜甫の時代とあまり変わらないともいえる気がする。

 

 

 

今週の日曜日で、私が「網膜静脈閉そく症」を発症してからまる1年が経過した。

 

1年間を通して薬を飲み続けたのは人生初めてである。

 

私の「健康寿命」はちょうど古希で終了した訳だ。

 

 

 

確かに学生時代の同窓会や、勤務先の同期会などで同じ年代の仲間と集まると、最近では3人のうち2人は何らかの病気持ちで、食事の後に薬をゴソゴソ持ち出す連中が多くなった。

 

 

今日も銀行時代の同期の友人に電話したら、ひと月ほど前から、目に「加齢黄斑変性」の症状が出て治療を始めたという。加えて甲状腺にできものが見つかり、来月手術とのこと。大事に至らないことを願って電話を切った。

 

 

 

「白いブランコ(1969年)」、「さよならをするために(1972年)」といった代表曲のある、私たちと同世代の兄弟デュオ「ビリーバンバン」。

 

 

 

 

兄・菅原孝さん(73歳)と弟・進さん(70歳)の闘病記、「さよなら涙 リハビリ・バンバン」が今秋出版されたと新聞にあった。

 

 

 

 

3年前の春、弟さんが大腸がんの手術を受けた。その2か月後、今度はお兄さんが脳出血に倒れ搬送される。

 

 

リハビリに耐えて声を取り戻した兄は車いすで登場し、菅原兄弟は音楽活動を再開、3年遅れで結成45周年コンサートを実現したという。

 

70歳前後に兄弟とも大きな病気を発症した「ビリーバンバン」のお二人。古希を越えて、新しい歩みを再開されたということだ。応援したい。

 

( 「ビリーバンバン」菅原兄弟の近影)

 

 

紹介した新聞記事に次のようにあった。

 

『・・・兄は、今も毎朝起きるとアーッと声を出して、自分の生死を確認していますと話す・・・』

 

 

 

「自分と全く同じだなあ・・・」と読ませてもらった。

 

 

昨年の11月26日、博多のホテルで朝起きた時に、左目に膜がかかったような違和感があった。私が左目に発症した時の様子だ。

 

次の朝から、同じような症状が右目にも出ていないか、目が覚めるとそーっと瞼を開いて、見えるかどうか不安な気持ちで、ゆっくり確認するようになってしまった。そして周りが見えると感謝する朝が続いている。

 

 

 

 

「左目と同じ症状が、右目に出る確率は30~40%くらいです」と医師に言われると、心配で心配でたまらなくなった。

 

両目に同じ症状が出ると一人では日常生活ができなくなるレベルの障害だったので、家族に迷惑をかけることへの不安が増した。そして両目に障害が出たら、どうやれば少しでも自力で生活できるか、いろいろと調べることが多くなった。

 

( また街に出かけて、視覚障害を持つ人を見かけると少し見方が変わってきた。)

 

 

 

 

しかし、1年間右目は守られた。感謝である。

 

 

 

1年前に飛び込んだ旅先・博多の病院の医師が言った言葉が残っている。

 

    

「発症が頭でなくてよかったですね」

 

私の目の病気は”目の脳梗塞”といわれ、血管・血液系の不具合が原因だ。頭で発症していれば本物の「脳梗塞」となり、命にかかわる症状や、そうでなくても「ビリーバンバン」の菅原孝さんと同じような、後遺症の心配されるところだったのだ。

 

 

 

要するに、多少の個人差はあるものの、70歳を過ぎると、いつなんどき、どんな病気が発症するかわからない年齢帯に入ったということだ。

 

 

だから、「元気なうちに、動けるうちに、行きたい所があれば出掛け、逢いたい人がいれば逢っておく方がいいよ」ということになるのである。

 

 

 

 

 

( また冬がやってきた。妻が今年のシクラメンを買ってきた。名曲「シクラメンのかほり(1975年)」を歌った布施明さんは来月70歳になる。作曲した小椋佳さんは少し年上の73歳。)

 

 

 

今週、学生時代の友人M君らと久しぶりに食事をした。

 

現役時代はバリバリ仕事をこなし、会社や業界に貢献したM君。

 

60歳頃からだっただろうか、自身の健康管理にストイックに取り組み、ダイエットに励んでいた。たしか健康関連の本も多く読破していた。そして180cmを超す長身ながら、73kg前後まで絞っていた。15㎏くらいは落としただろう。

 

 

それが今回会ったら、酒はいろいろと効用を説いていたワインから熱燗に代わり、今まで揚げ物は口にしなかったM君が、「天ぷら」もすべて平らげていた。

 

 

私は「どうしたの?」と聞いた。

 

「いや、70歳まで生きたので、これからの人生は付録。好きなものを食べて生きようと思う」

 

 

お見事!! M君のこの割り切りの明快さ、切り替えの潔さ、まったく学生時代と変わらない。

 

私は楽しくなった。

 

そして気持ちを明るくしてくれた彼の言葉だった。

 

 

(プロゴルファーの尾崎将司さん。私と同学年の70歳。今でも腰痛を抱えながら、レギュラーツアーで20歳~40歳代の選手らと戦っている。でもそろそろ引き際では・・・と心配しつつ、予選落ちの成績を確認している。)

 

 

 

 

2017年12月2日 追記

 

ザ・フォーク・クルセダーズの「はしだのりひこ」さんが、本日逝去されました。

 

2学年上の72歳。ここ10年ほど闘病生活を送っておられましたが残念です。ご冥福をお祈りいたします。

 

「帰って来たヨッパライ」はよく知られていますが、私は「悲しくてやりきれない」、シューベルツ時代の「風」をよく口ずさんでいました。

 

クルセダーズのメンバーだった加藤和彦さんは、私の2日後の生まれで同学年ですが、2009年に亡くなられました。

これでメンバーで残っているのは北山修さんだけになりました。北山さんも私と同学年で現在71歳。

 

 

こうした訃報に接すると、やはり「70年生きるということは、簡単なことではない」ということを考える。

家族や友人知人はもちろんのこと、医療等の健康を支えてくださる方々や、生活の安全を支えてくださっている多くの知らない方々にも思いが及ぶ。