先週の土曜日、外は冷たい雨で出掛けるのも面倒で、加えて好きなラグビーのTV放送もなかったこともあり、BSフジで懐かしい「社長シリーズ」の映画を観た。

 

 

 

(主な出演者はおなじみの森繁久弥、加東大介、三木のり平、小林桂樹、フランキー堺など。駅前シリーズには伴淳三郎が常連だった。全員、故人となられた)

 

 

 

東宝の社長シリーズは1956年から1970年にかけて33本製作されている。主演は森繁久弥。同時並行的に「喜劇・駅前旅館」「喜劇・駅前大学」などの「駅前シリーズ」も製作されており、両方とも当時の東宝を支えた人気シリーズだった。

 

 

1956年(昭和31年)の第1作は「へそくり社長」でこれは観ていない。鹿児島の田舎の高校生が、福岡市の大学に入ってから映画館で観たわけなので、1965年(昭和40年)以降ということになる。

 

 

貧乏学生にはおカネもなかったので、福岡市の中心部にある封切館で観ることはめったになく、場末の映画館で数週間遅れで観ることが多かった。

 

 

「社長三代記」「社長太平記」「社長道中記」「社長漫遊記」「社長紳士録」「社長千一夜」「社長洋行記」などのうち、数本を観たと思うが、映画館で観たのか、後年になってTVの再放送を観たのかはっきりしない。なぜなら出演者はほぼ一緒で、話の筋も似かよっている喜劇シリーズだったので、「あの作品が特別印象に残っている」という訳でもない。

 

 

それでも、下宿に帰ってもテレビはなく、ラジオしかない時代だったので、2時間笑い転げて、映画館から出てくると、それなりの満足感はあった。

 

 

 

昭和30年代から40年代の映画なので、観ていると昭和の時代の会社での日常の風景や慣行が、多くの場面で確認できる。懐かしい。

 

 

設定が「中堅のオーナー企業」ということもあるが、社長の自宅に社員が出入りする、社長の家族が会社に顔を出すといった場面も多い。昭和40年前後、東京の郊外といっても社長と社員の住まいはそれほど遠距離ではなかったのではないかと思わされる。平成になってからだが、私も3社のオーナー社長に仕えたのでその雰囲気はよくわかる。

 

 

戦後20年近く経過し、企業の海外進出が始まった頃で、海外に支店を出したり、自社の製品を外国に売り込みに行くための苦労話が面白おかしく展開される。

 

 

日本の高度成長を支えた社長や社員たちは、決してスマートではなく、泥臭く試行錯誤を重ねながら、泣いたり笑ったりの日々だったようだ。

 

 

当時の羽田から初めて海外に行く人の多い時代なので、旅券(パスポート)の準備、餞別の受け渡し、壮行会、買い物の依頼、羽田空港のデッキでの見送り、そして外国でのコミュニケーションの苦労など、当時の海外出張の慌ただしさが伝わってくる。

 

 

現在では問題になりそうなパワハラやセクハラまがいのシーンも多く出てくるが、非正規社員やリストラは出てこない。当時の高度成長下の日本では、終身雇用、年功序列、接待・・・そうした雇用慣行や商慣習を受けとめるパイの大きさ、経済拡大が続いていたということだろう。

 

 

 

(喫煙率の高い時代。社長のタバコに火をつけるという場面が多い。私はタバコは吸わないが、社会人になった頃、お客様がタバコを出したら、すぐ差し出せるようライターを持つよう指導されたものだ)

 

 

(社内での風景。当然パソコンなどはなく、スチールロッカーや黒電話、タイプライター、机上の蛍光灯スタンド等が昭和のオフィスをしのばせる)

 

 

(社長の夜に付き合う秘書。酒を飲みながらの指示や打ち合わせがやたら多い)

 

 

 

昭和の時代の映画を観るということは、当時の街並みや風俗を見るということになる。これが楽しい。

 

 

街並みは当然のこととして、街を歩く人の服装や車のデザイン、店の中のしつらえなど、「ああ、そう言えば昔はそうだったなあ」と懐かしさを蘇らせてくれるのである。

 

 

「社長洋行記」のラストシーンで、皇居前の和田倉濠に架かる木造りの橋が出てくる。現在も同じ場所で立派な木の橋が和田倉噴水公園と丸の内を繋いでいる。

 

画面左に写っているとんがり屋根の洋風の建物は「東京銀行協会ビル」だが、1993年に地上20階のビルに建て替える時に、外観はそのまま保存され残された。

 

(橋の欄干の上に見える洋風のとんがり屋根が当時の東京銀行協会ビル)

 

(現在の東京銀行協会ビルは、右下の柳並木の向こう側に見える)

 

 

(小林桂樹とお堀の向こうに見える丸の内や大手町のビル街は、50年経過した現在は下の2枚の写真のように高層ビルが林立している)

 

 

 

 

 

雨の日の暇つぶしに観た昔の映画だったが、タイムマシーンに乗って昭和への小旅行をした感じだった。

 

そういえば映画の終わりに、スクリーンに「終」の文字が写されると、館内のどこからともなく拍手が起きていた覚えがある。あれはいつの頃だっただろうか。