7月22日から24日まで北信濃に出掛けてきた。この旅は2020年から始まっているので今年で5年目。もう恒例と言っていいだろう。

 

 

( 手前が野沢温泉郷。中央奥を蛇行して流れるのが千曲川。その向こう側に霞むのが飯山市街。)

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 この旅はコロナ禍が原因となって始まった。その経緯を書いておこう。

 

 

 私にとっては少しドラマチックで小説のような話だった。

 

 

 ・・・国内でコロナ感染が広がり始めた2020年3月、私は自宅近くの総合病院で「大腸ポリープ検査」の予約をしていた。私は55歳ごろ悪性のポリープが見つかり、それ以来約20年間定期的に検査を受けてきた。

 

 

 しかし2020年3月当時、まだ正体のよくわからない新型コロナウイルスという不気味な感染症が世界中にじわじわ広がり始めていた。「半日も大きな病院内で過ごすのはイヤだなあ・・・」と考え延期することにした。

 

 

 

 その一方、ポリープができやすい体質だと思っていたので、検査は延期したが大腸内が気になって仕方がなかった。

 

 

 

 そうした中、妻が言った。

 

 

 「お姉さんがお世話になっていたN病院のT先生が長野県の病院に転職され、7月に大腸ポリープ検査を受けに行くけど、一緒にやっていただけないか聞いてもらおうか? 私も検査してもらうのだけど・・・」

 

 

 

 T先生とは東京・品川区にある大きな病院で10数年勤務され、妻や義姉はお世話になっていて、すっかりその技量とお人柄からファンになっている様子だった。

 

 

 「えっ、長野まで行くの?」と私は少し逡巡したが、いつ感染症拡大が沈静化するかまったく見通しの立たない時期だったこともあり、「追加で診てもらえるか聞いてみてくれる?」と頼んだ。

 

 

 「OK」とのことで7月出掛けた。コロナ禍の北陸新幹線はガラガラだった。

 

 

 「せっかく長野に行くのだから、検査が終わったら近くの野沢温泉に一泊しましょう。病院が提携しているホテルや旅館があるそうよ」ということで、一泊二日の国内版 ”医療ツーリズム” となった訳だ。

 

 

 もしポリープ切除となったらその夜の夕食を楽しめるのだろうか・・・と心配しながらもついていった。

 

 

 

 検査が終わって先生から説明があった。

 

 

 「香椎さん、長さ3㎝の大きなポリープが見つかり切除しました。時間をかけてきれいに切除しました。リンパ節には転移していないと思いますが病理検査に出しておきます。私の経験でも三指に入る大きさでしたので慎重に経過を見ていきます。2ヵ月おきに来ていただけますか? まんいち外科的な大腸の部分切除が必要な場合はここで手術することになりますがよろしいですか?」

 

 

 2週間ほどしてT先生から連絡があり、悪性だったが大腸壁への浸潤は認められず大腸の部分切除の必要はないという説明だった。ようするに ”不幸中の幸い” という検査結果だった。

 

 

 

 それから9月、12月、3月と長野のT先生のもとに通い、切除後の状況を検査してもらった。そのつど大腸内の映像をもとに順調に回復していることを分かりやすく説明いただいた。

 

 

 そして初回の検査から1年後の2021年7月に受けた検査で、「もう大丈夫です」と最終的な完治宣言をいただいた。

 

 

 先生の説明では、「おそらく前回の検査で見逃されたポリープが成長してしまったのでしょう・・・」ということだった。

 

 

 だから、今やT先生は私にとって『命の恩人』となった。

 

 

 という訳で、新型コロナウイルスがキッカケとなったT先生との出会いと出来事だったのだが、私も妻や義姉と同じようにT先生や病院スタッフの方々のファンになっていた。

 

 

 

 ところで私は20年ほど大腸ポリープの検査を受けてきたから、内視鏡検査の設備や技術の進歩をつぶさに見てきた。

 

 

 そのすさまじい進歩には本当にびっくりするが、映像を通して内視鏡手術の機器を操作し、ポリープ検出~切除~縫合等を完ぺきに施術する医師の技術は本当に尊敬に値する。

 

 

 T先生の内視鏡手術技術がとてつもない高い水準にあることは、25,000件を超す症例数をお持ちだということでもよくわかる。

 

 

 しかし、患者である私がさらに敬意を払うのは、その『インフォームドコンセント』の完全な実施である。

 

 

 『インフォームドコンセント』は、「医師と患者との十分な情報を得た上での合意を意味する概念」とあるが、T先生の検査前の事前説明や注意は具体的かつ親切で分かりやすく、検査後の説明も映像や手書きの資料を用いて100%納得がいく。

 

 

 医師によっては診察後あるいは手術後に簡単な説明はしても、検査結果のデータや説明に使った資料を患者に提供しない場合がほとんどだ。しかし、T先生は合わせて検査した胃や大腸の絵図に、患者の目前で説明を書き込んだ資料を毎回手渡してくださるのだ。



 だから、東京時代の多くの患者さんが今でもT先生に診てもらうため長野まで来られる。月曜日は東京から来る患者の検査日となっていて半年先まで予約は埋まっているという。

 

 

 

(・・・2020年9月の写真。右奥に広がる野沢温泉に行く途中で見かけた見事な棚田。周辺には美しい棚田がいくつも見られる。飯山市や木島平村も含め千曲川沿いのこの辺りでは美味しいコメが収穫されるらしい )

 

 

 

 今回は小さな4mmのポリープが1個あった。切除してもらいまた来年の予約をして妻と一緒に病院を出た。そして車で送り届けてもらった野沢温泉のいつもの旅館に入った。

 

 

 

 

 

 

 ・・・『水尾』は飯山市の田中屋酒造店が造る美味しい地酒だ。

 

 

 

 

 

 

 

 ・・・野沢温泉には多くの温泉源があり、外湯と呼ばれる集落の共同湯が13カ所ある。観光客も利用できる。昔は下駄をカラコロ鳴らしながら外湯巡りをする宿泊客で賑わった・・・と、24日に乗ったタクシーの運転手さんが懐かしんでいた。

 

 

 その運転手さんによると、最近はオーストラリア人の経営する宿も多くなり、シーズンになると海外からの観光客がスキーに訪れるという。北海道のニセコと同じような現象がここでも起きているようだ。

 

 

( 外湯のひとつ「上寺湯(かみてらゆ)」 )

 

 

 

 

 長野県といえば1998年(平成10年)に冬季五輪が開催され、スキーで有名な野沢温泉村ではバイアスロン競技が実施されている。これまで野沢温泉スキークラブ(1923年・大正12年創立)は16名の五輪選手を生んでいる。写真は路上で見かけた五輪記念のマンホールの蓋。

 

 

 

 

 

 ここで私と長野県とのご縁を書いておこう。

 

 

 九州出身でスキーもやらないので、平成の初めまでは軽井沢あたりに出かけるくらいだった。

 

 

 しかし平成7年から出向した会社が経営するホテルやゴルフ場、スキー場が、県下の軽井沢や白馬、木曽にあったので何回か出張した。また野沢温泉村の北東側の山を越えた新潟県側にも出向先のスキー場があったのでなんとなく親近感があった。

 

 

 また、銀行時代の友人の故郷が飯山市の北隣の上越市(新潟県)で、一度同期仲間で訪れたこともあった。

 

 

 だから、ここ30年で私にとっては長野県は馴染のあるエリアになっていた。

 

 

 

 ・・・さて24日は「土用の丑の日」だった。私たちは出発前に予約していた飯山市の1904年(明治37年)創業の老舗「うなぎ専門店 本多」さんに向かった。

 

 

 

 

 今年で4回目の訪問だったが、予約の電話をした時、「香椎様、いつもありがとうございます!」と最初の挨拶があった。年に1回しか行かないのに名前を・・・とびっくりした。

 

 

 こういう店の鰻だから美味くないはずがない。ここはテーブルに山椒を置いていない。店内には置いてあるが、鰻臭さはまったく無いので本来の鰻の味を楽しんで欲しい・・からとメニューに説明してあった。

 

 

 ひっきりなしに持ち帰りや食べに来られたお客様が出入りするなか、丑の日の鰻を堪能した私たちはJR飯山駅に向かった。

 

 

 

 

 

 駅に着くと次の東京行きまで1時間ほどあった。いつも時間待ちする構内のお洒落なカフェに行った。

 

 

 すると年配の女性スタッフと妻が親しげに話し始めた。年に1回しか来ないのにお互いに覚えていたらしい。面白いことに妻はすぐ他人と親しくなる “能力” にたけている。「うなぎの専門店 本多」さんの大女将が九州・長崎のご出身と聞き、今ではすっかり親戚付き合いのような話しぶりだ。

 

 

 

 このおふた方はもちろん、T先生はじめ病院や旅館の方々、温泉街の蕎麦屋の老夫婦店主、タクシーの運転手さん・・・北信濃の皆さんは本当に心の温かい人ばかりだった。

 

 

 

 ・・・5年目の ”北信濃・医療ツーリズム” を終え千葉県柏市の自宅に帰り着くと、ゲリラ豪雨が昼過ぎ通過したこともあり気温も下がっていた。私たちはどこかホッとした気分になっていた。

 

 

 

 

( 野沢温泉街の道路脇で見つけた「にちにちそう」)

 

 

 

(注)最初の写真だけネットよりお借りしました。ありがとうございました。