人間というやつは、歳をとるに従って、今宵は何を食うかに多くのエネルギーを用いる。口が卑しいのだろうか。「お前はどうなの?」って、生きている間は、なんでも食っちまおうというわけではない。うまい料理で、酒を飲みたいだけである。

ただ、こんな北陸の片田舎にあって、小洒落た店できれいな姐さんが、料理を出してくれる店を探すのは至難。哀しいかな、懐と相談をしなければならない。その上に、腐れ縁の連れ添い、つまりツレにも、少しは遠慮しなければならない。そうなると肴は自分で調達するが一番である。

今回は、酒の肴を考えてみた。

 

くよくよしても、始まらないことを「案じるより芋汁」という

今の時期の畑の幸の里芋がある。ガキのころ、タイモ(田芋)と呼んだ。浅い水を張った畑で栽培されるからだろうか。こいつの煮っころがしが最高で、サツマイモより人間をデブにしない。水溶性の食物繊維をたっぷり含んでいるから、肥満防止の効果もある。こいつのぬめりが何とも言えずに懐かしい。

ガキの頃、田舎の母がよく囲炉裏で豆柄をくべて、暖をとるために鍋をかけていた。その鍋の中にサトイモが転がっていた。そんなことを思い出しながら、一口食べては酒を飲む。そうやって、やがて北陸の百姓家の秋の夜は更けてゆくのである。
 

いくら山芋が鰻のように細くて黒っぽっくと、山の芋が鰻になることなどあり得ない

サトイモは、里で採れるイモなら、山で育つからヤマイモである。酒の肴に、ヤマイモの皮を剥いて短冊にして、醤油で和えて、わさびを効かして食する。ネズミに食べられるのを恐れて、今年は袋栽培にしたと『ボクのガーデニング研究https://goo.gl/NRqTmi に書いた。10袋ほど並べたろうか、それぞれの袋に4本ずつタネイモを植え込んだ。それが、どれも立派に育った。

来年は20袋にしようかと密かに考えている。この方式なら場所を取らない。川べりでも、畦の縁でもどこでもいい。こんなこと酒を飲みつつ思案している。なんとスケールが小さいことよ。


晩秋といえば、根菜の王様の大根を真っ先に挙げるべきだった。我が家では、8月の末にタネを蒔いたのが、今や畑の大根の一本一本が、相撲とりの足くらいに育っている。一本3キロはある。葉っぱを刻んで、薄揚げと一緒に炒める。肝心の本体をどうするか、風呂吹き大根にと考えた挙句、おでんの具にした。

 

おでんは冬に限る

テレビの相撲中継を観ながら、まな板をテーブルに持って来れば、皮を剥くぐらいは平気である。そうは言っても、おいしく作るには、具材の下ごしらえが大切。大根、こんにゃく、ジャガイモ、厚揚げ、練り物など、大鍋に湯を沸かして、湯抜きをするも、ゆで卵も同時にやっちまう。この頃の卵ときたら、スーパーに行けばプロモーション用に、ロハである。一人10個までだけれど。
昆布も蝶結びにして、ハサミでチョキチョキやる。竹輪に昔懐かしいさつま揚げも入れる。こうして、おでんの具はだいたい揃うのである。なんと貧しい酒の肴だろう・・・