前にも書いた通り、我が家は夫が料理担当である。食事と風呂掃除が夫の仕事、それ以外は私の仕事、と完全に分担が決まっている。基本的に相手の領分には踏み込まない。

 メニューを考えるのも夫。昼から夜の仕事なので会社に行く前にがっつりと食べ、帰ってきてから軽く食べるという一日二食生活。

 

 そんな訳で、当然買い物も夫主導である。夫が玉ねぎとかキャベツとかを真剣に品定めしている横でボケーッとしていることが多い。

 しかし最近は私にも仕事ができた。夫の横でスマホの電卓を叩く仕事である。

 

 私の地域では、3月中旬に『プレミアム商品券』なるものが発売された。各スーパーで、1000円×12枚、12000円分の商品券が1万円で買えるのだ。

 我が家の一か月の食費(米は30kg単位で別で買っているので除く)は35000円~40000円。使っているスーパーは4つ、それ以外にドラッグストアが2つ。

 なぜこんなにバラけているのかというと、「アレならAスーパーが安いけどコレはBスーパーが安い」など、夫が商品ごとに把握しているからだ。

 あとスタンプカードが曜日で決まっていたり、「ポイント3倍!」とかもあったりするので、日曜日はあそこに行って火曜日にはあそこに行って……みたいなことをしている。

 

 それはさておき、プレミアム商品券。これはスーパーのみで、ドラッグストアではやっていない。

 家計の管理自体は私なので、食費のうちいくら商品券に使うか、という会議が行われた。

 使用期間は5月末までなので、二か月余りだ。

 

「いくらまで買っていい?」

と夫。プレミアム商品券にわくわくしているらしい。

 家計簿を確認し、どこでどれぐらい使っているかを調べる。基本的にスーパーが多く、ドラッグストアを使うのはその3分の1ぐらいだろうか。

 

「ひと月3万、二か月分で6万かなぁ」

「そんなに買っていいの!?」

「とり貯から6万借りて、毎月3万ずつ返済する形ね。だからドラッグストアとか、その他で使えるのは一万弱だよ」

 

 とり貯とは『とりあえず貯金』の略で、毎月二万ずつよけているお金のこと。花粉症の薬や車検など、「日常的に使わないが突発的にお金が必要になったときに使うためのお金」である。(なお、米代もここから出している)

 

「どう? ちゃんとやりくりできそう?」

 

 私は家計の『管理』をしているだけなので『やりくり』は夫の仕事である。

 

「できる、できる」

「商品券使いきれない、とかならない?」

「大丈夫、大丈夫」

 

 そんな訳で、メインのAスーパー4万円分、サブのBスーパー・Cスーパーで1万円分ずつ、合計6万円分を購入した。

 

 さてそうなると、今までクレジット決済をしていたものをすべて商品券で賄うことになる。

 その場合、例えば1530円だったとすると、530円は実費としてかかることになる。毎月の食費の余白は1万円弱しかないので、そんな調子で差額を支払っていたらドラッグストア等で使う分が無くなってしまう。

 なので、スーパーでは「2034円」など、1000円単位を意識して買い物をする必要があるのだ。消費税8%も考えると暗算ではとても無理なので、横で電卓を叩いている、という訳だ。

 

夫「今いくら?」

私「1682円。あとちょっとかな……」

夫「あ、コレ158円。どう?」

私「1840円の8%……あ、ダメ! 20円ぐらい足りない」

夫「うおぉぉぉ~」

私「さっきの鶏肉、一番安いのじゃなくて320円ぐらいのにすればちょうどいいんじゃない?」

夫「お、そうか!」

 

 こんな感じで、隣でスマホの電卓を叩きながらあーだこーだ言っている。

 ふと周りを見回すが、電卓を叩いている人なんて誰もいない。好きに買い物をして、3桁以下は現金かクレジット決済して、と自由にやってるんだろうなあ……こんなにセコセコやらなくても余裕なんだろうなあ、と思う。

 

 我が家はあまりお金に余裕がない。お金の心配をしなくていい人たちはもちろん羨ましい。

 だけど、『ミッション』と称して日々あーだこーだ言いながら二人でやっていく毎日は、なんだかんだ言って楽しくもある。

 私たちは毎日何らかの『ミッション』をやっている。

 

 さて、そんなお金の心配をしている生活で、いったい癌の治療費はどうしているのか、と疑問に思う方もいるかもしれない。

 前にも書いた気がするが、一応ここでも書いておくと……我が家は保険だけで治療費を賄っている。

 

 私も夫も癌家系だったので、結婚するときに癌の保障が手厚い保険に入った。癌と診断された時の見舞金のほか、入院保障、放射線診療補助、抗がん剤治療補助(120か月)などついているものだ。

 そして「癌」「脳梗塞」「心筋梗塞」これらになったら以降は保険料を払わなくてよい、というもの。夫は十二年前に「心筋梗塞」になったためそれ以降は保険料を払っておらず、そして今回「癌」になった。

 

 そして前立腺小細胞癌だったため、しょっぱなから抗がん剤治療を続けている。抗ガン剤治療の補助金と限度額適用がだいたい同額なので、補助金が出たらそれを治療費にあてて、という感じ。

 

 世の中には保険で黒字になる人もいるようなのだが、ウチはトントンだ。癌になった際に出た見舞金は、今回の事務所の引っ越し等ですべて消えた。

 決して儲からず、かといって追いつめられるほどマイナスになるわけでもなく……我が家はずっとこんな感じ。

 二人でぎゃいぎゃい言いながらギリギリで回している。

 

 そんな夫も、今年で還暦を迎える。まだ年金を受給するつもりはないらしいが、どうしても厳しくなったらそれも視野に入れればいい。

 私はまだ54歳なので、年金受給まではまだまだだが……。

 

「そっかー。お前まだ54かー」

「うん」

「そっか……。もう少し年が近ければよかったのにな……」

 

 私が2月に誕生日を迎えたとき、夫が残念そうな、困ったような、寂しそうな顔をしていた。

 お互い、言ってもどうしようもないことは言わないタイプなので、夫がこんな詮無いことを言うのは珍しくて印象的だった。

 多分、「もし俺が早く死んだら……」とか考えたのだと思う。

 

 本人は考えるだろう。そりゃそうだ。考えるな、と言ったところで無理だ。だって患者本人なんだもの。

 夫は前に、「治療はお前のため」と言い切っていた。

「俺一人ならどうでもいい。お前がいるから」

と。 

 私たち夫婦には子供がいない。友人も全くいない。ずっと二人の世界で生きている。

 自分が早くに死んで、一人になってしまう私のことが心配でたまらないらしい。だから少しでも長く生きるために戦う、と言っていた。

 

 だから私は笑う。夫の心配が少しでも減るように。言いたいことが自由に吐き出せるように。

 感傷的になんかならない。私を気遣って夫が何も言えなくなってしまったら本末転倒。将来、治療をやめたくなったら「やめたい」と夫がちゃんと言えるようにしたい。

 だから何にも気にしないフリをする。

 

「そうだね! 私も早く年金生活やりたい!」

「その前に諸々の払い込みがあるけどな」

「あ、そうやった」

「そう簡単にはこのステージには上がれんぞ」

「何でちょっとエラそうなん?」

 

 もうすぐゴールデンウィークだ。

 とり貯からちょっとだけお金を引き出して、二人で寿司を食べに行こう。

 あと夫は道の駅にも行きたいと言っていた。新鮮な魚介類を買いたいらしい。どこかで家呑みしようと言っていたので、その料理に使うのだろう。天ぷらもするとか言ってた。

 

 夫の頭の中は料理の計画でいっぱいだ。

 今年は少しだけ、贅沢してもいいかもしれない。