昔の受験参考書は、格調高いものが多かった。

ほとんどその分野の専門書に近いレベルのものもあり、受験対策としては極めて効率が悪いものであったのかもしれない。

例えば、小西甚一(1915-2007年)の「古文研究法」(洛陽社)は、そうした参考書の代表的なものと言えるだろう。

 

 

この名著は、1955年に初版が刊行されて以来、少なくとも、私が大学受験に臨んだ1978年当時においても、最も信頼できる古文の参考書であった。

「古文研究法」は、小西甚一の教え子である阿部邦義が設立した洛陽社から出版されていたのだが、2009年の106版を最後として洛陽社からの出版が途絶えた。

というより、洛陽社が出版事業をやめてしまったようなのである。

ネットで調べると、はっきり倒産という事実は確認できないのだが、倒産したらしい、電話がつながらない、現況は不明、廃業と思われるなどの書込みがある。

 

私はたまたま洛陽社が2009年に106版を出した時に、家の近所の本屋で目にとまり、懐かしさのあまり買ってしまったので、今、手元にある。

残念だったのは、私が高校生の頃は、ハードカバーの本だったのに、ソフトカバーに変わっていて、やや重厚感がなくなっていたことである。

その「古文研究法」が、筑摩書房から、ちくま学芸文庫として復刊されたのは、2015年のことである。

これでついに「古文研究法」も古典の仲間入りを果たしたと言えるし、廃刊となって手に入らなくなるおそれも、しばらくはないので安心である。

 

 

古文に限らず、高校で習っていた科目は、受験だのテストだのといったやらされ感や、苦痛要素を離れて、今、聴講したら、どれだけ面白かっただろうと思う。

今となっては、もう一度聴講してみたい教養ばかりだ。

そうしたニーズを捉えてか、昔懐かしい高校教科書や受験参考書が、アップデートされて出版され、ベストセラーになっていたり、懐かしいそのままの姿で復刊されたりもしている。

アップデートされて出版され、サラリーマンにもかなり売れているのは、山川出版社の「詳説日本史」、「詳説世界史」がよい例だろう。

何しろ一般向けに売り出された山川の教科書シリーズでは、高校時代には誰も見向きもしなかったであろう「倫理」でさえ売れているのだ。

 

 

私が受験生の頃から、山川出版社の「日本史」と「世界史」の教科書は有名で、私の高校では三省堂の「世界史」の教科書を使っていたのだが、わざわざ私は山川出版社の教科書を取り寄せて、そちらを中心に学習したりしていた。

さらに当時の私は、それに飽き足らず、一橋大学学長までつとめた上原専禄(1899-1975年)の著書で、文部省の教科書検定不合格となった「日本国民の世界史」(1960年 岩波書店)という本を手に入れて、なぜか教科書検定不合格というものに妙な感動を覚えて、この本を中心として世界史を学んだことは、受験においては大きな敗因の一つであった。

 

昔の姿で復刊された受験参考書の名著(復刻版)の中でも、私が思い入れがあったのは、山崎貞(通称ヤマテイ)の「新々英文解釈研究」である。

この本は、高校生のときに、本当によく読み込んだ。

私が使っていたのは、三訂版で、緑色のものだったと記憶しているが、研究社が2008年に復刻版として出したものは、それより古く、1965年発行の新訂新版というものだ。

これは嬉しかった。

 

 

チャート式で有名な数研出版においても、2014年に、なんと昭和16年(1941年)、17年に出版された「チャート式代数学」、「チャート式幾何学」という2冊の復刻版を出すという偉業を成し遂げている。

今さら数学の問題を解くわけではないが、私は時々この復刻版をながめては、数式や図形の美しさに感動しているのである。

 

 

残念なのは、私が高校時代に最も気に入っていた数学の参考書である「大学への数学」(研文書院)が、2013年の研文書院の廃業と共に途絶えてしまったことである。

この参考書は、大変渋い真っ黒な装丁で、通称「黒大数」と呼ばれ、中身も一色刷、高度な内容を誇り、孤高の参考書として、私は大変気に入っていた。

 

 

なぜ「黒大数」と呼ばれたかと言えば、東京出版から、こちらも人気があった「大学への数学」という月刊誌が出されていて、そちらが「大数」と呼ばれていたためだ。

この月刊誌の巻末には、「学力コンテスト」(通称学コン)という高校生には超難問の数学の問題がついていて、添削形式になっており、解けると編集部に送って添削してもらい、正解すると、成績優秀者として名前も雑誌に載るので、数学オタクを夢中にさせた。

この学コンは、今でも続いているようで、この学コンで好成績を残し続けて数学の面白さに目覚め、数学者となった京大の森重文教授は、1990年に数学界のノーベル賞と言われるフィールズ賞を受賞するに至った。

 

以前、紹介したことがあるが、復刊ドットコムというサイトがあって、復刊リクエストをすると、共感した人が投票し、投票数が多い本については、編集部が出版社に復刊交渉をするというものだ。

「黒大数」については、当然、私も一票入れているのであるが、本日、得票総数を見ると、まだ41票にとどまっている。

とは言え、私がリクエストした源氏物語関連の絶版本の得票数が、私自身の投じた1票から全く伸びていないことを考えれば、十分多くの支持を得ていると言えよう。

 

さて、「古文研究法」である。

今さらなんで「古文研究法」を読もうと思ったかと言えば、ひとえに「源氏物語」を原文できちんと読みたいと思ったからである。

今まで、何度も注釈や現代語訳を頼りに、「源氏物語」の原文に挑戦してきたが、どうしても納得感がなく、腹落ちしないのだ。

そこでついに、基本的な知識だけでも、古文を復習してみようと思い立ったのだ。

まず、私の世代では当然のこととして、「古文研究法」を読み始めたのだが、何しろ本格的過ぎて、今さらここまで勉強する気もなければ、残された時間もない。

ただ、高校時代には気付かなかった、やや差別的な表現に目がとまったりして、ちらちらながめるには、やはり面白い本なのだ。

 

例えば、「はじめに」として、高校生に古文の学び方を説いているのだが、こんな文章がある。

 

「『どうせ日本語だからー』。こんな考えが、高校生諸君の頭のどこかにこびりついていやしないかと、私は、いつも心配である。なるほど日本語ではある。だから、だいたいは理解できる。ばかでない限りは-。しかし、出題者が要求するのは、つねに「正確な理解」であって、もし「だいたいの理解」も理解の中に入るとお考えの諸君があるなら、私は「正確な理解」以外は理解でないと申しあげておきたい。」

 

この「ばかでない限りはー」などという表現を、今使ったら大変そうだ。

でもまあ、この文には、古文を学ぶ難しさの本質が集約されているのは確かだ。

古文で混乱するのは、同じ言葉なのに現代の使い方と異なっているなど、主に以下4つ要素を持つ言葉が混ざっているからだ。

①今でも同じ意味で使っているもの

②今でも使われている言葉だが、意味が全く違うもの

③今では全く使われていないもの

④今でも使われる意味と、今は使われない意味があり、文脈で考えるしかないもの

 

では、どうやって楽して短時間で、一定の古文の知識レベルまで高められるだろうか?

悩んだ私は、YouTubeでいろいろ古文の学習動画を見比べてみた。

やはり、人から教わることは、圧倒的に楽な学習法なのだ。

まず音声が機械音なのは、最初から眠くなるし、面白くもないからバツ。

カルチャーセンター的なものは、結局、言葉の正確な理解より、物語の面白さやあらすじ、文化的考証などに力点が置かれており、今の私のニーズには合わないからバツ。

という具合に消し込んでいって、やはり引き込まれたのは、受験生向けの予備校講師の講義である。

昔から思っていたのだが、予備校の先生というのは、どうしてこんなに教え方がうまいのだろう。

暗記の割り切り方や、重要でないものをバッサリ切り捨てる潔さは、見ていて気持ちよい。

 

最終的に、これだと思ったのは、駿台、代ゼミ等の大手予備校で、マドンナ先生として、カリスマ的存在だったらしい荻野文子先生の講義である。

この教え方ならついていける!

 

 

ところが、残念なことに、YouTubeにあがっている荻野先生の講義は、だいたい受験生向けの学研プライム講座という講座のプロモーション動画なので、10分くらいで、ブチッと切れてしまう。

次が聴きたいのにと思いつつ、別の動画を見ると、これまた途中で切れてしまう。。。

そんなことを繰り返していたのだが、ついにある日、意を決して、受験生向け学研プライム講座の荻野先生のWeb講座を申し込んでみようと思いついた。

大枚3万円ほど払って、どうせなら一般大でなく難関大受験向けと、変な見栄を出して、「マドンナ古文 難関大古文ゼミ」という講座を申し込んだ。

学研のWeb講座の録画は、相当古いもので、画質も悪いのだが、一方、荻野先生も大変お若く、全然画質など気にならない。

よい画質で、現在、67歳になる荻野先生の講義を受けるより、悪い画質で、マドンナと呼ばれた意味がわかる頃の荻野先生の講義を受ける方が、断然心地よいのである。

 

まず最初に、潔い荻野先生の、「学校で教えるような全文訳なんかしてはいけない。源氏物語の全文訳など、できるようになるには20年かかる。たかだか1年程度の勉強で、そんなことができるわけもないから、まず全文訳は捨ててください。」と始まり、「誰でも覚えるような単語は、さっさと覚えてしまうこと。私の本は、最低限230語に絞ってあって、2ヶ月で4回読めば覚えられる。それ以上古文の単語を覚える時間があったら、弱小科目の古文なんかやっていないで、英単語を覚えなさい!」と歯切れ良い。

高校時代に、こういう教え方をしてくれたら、もっと古文をやる気になっただろうに。

 

 

とは言え、今さら230語覚えるのもそう容易ではない。

やはり、「源氏物語」は注釈を見ながら、原文がわかった気になるだけで満足すべきなのか。

いろいろ迷いつつ、とりあえずは、90分の講義が10回ある学研プライム講座、「マドンナ古文 難関大古文ゼミ」をきちんとやってみよう。

講義を聴きながら、こうした講義は、絶対に、眠たいオヤジの講座などを申し込んではいけないなと強く思う。

マドンナ先生についていくために、現在、私は、フルカラーで渋さのかけらもない「マドンナ古文単語230」を片手に、古文単語の暗記に励んでいるのである。

 

<了>