昨日、2024年2月22日、ついに日経平均株価が、1989年の大納会でつけた史上最高値3万8915円を34年2ヶ月ぶりに更新し、3万9098円で引けた。

 

日本経済が失われた30年と呼ばれたこの期間は、まるまる私のサラリーマン人生の期間に重なり、もはやそのサラリーマン人生の終焉を迎えようとしているときに、ようやく日経平均株価はバブルのピークでつけた水準に戻ったのである。

バブル崩壊の先駆けとなった1987年10月19日(月)、ニューヨークでの株価大暴落、いわゆるブラックマンデーを、私はニューヨーク支店のディーリングルームで迎えた。

あの時の衝撃と、将来に対する暗い予感は今でも忘れることはできない。

 

その後、失われた30年が始まり、1997年7月、タイから始まったアジア各国通貨の大暴落、いわゆるアジア通貨危機を、私はシンガポール支店のディーリングルームのヘッドとして迎えた。

そして、翌1998年10月、ついに金融危機により勤務先銀行が破綻し、私のサラリーマン人生の前半は終焉を迎え、後半のさまよえるサラリーマン人生に突入したのであった。

 

これからお話しするジャズ物語は、そんな私のサラリーマン人生の序章とも言えるニューヨーク時代のお話でもある。

 

その頃、私は、全くの偶然に、ジャズピアノのミシェル・カミロの音楽と出会った。

 

当時、勤務するオフィスがあったマンハッタンのダウンタウン近くに、J&Rという店があった。

ここはコンピュータ関連を扱っている店と、レコード・CDを扱っている店があって、例えば、当時はあまり日本で手に入らなかったヒューレット・パッカードの金融電卓(HP12C)などを、日本からの出張者が買いたがったときにもよく連れて行ったものだ。

J&Rのレコード・CDの店には、大量のジャズのレコード・CDがあったので、昼休みなどによくのぞきに行っていた。

 

 

当時から、ジャズは経済的には日本が支えているとまで言われ、日本人のレコード好きは有名だった。

ニューヨークのように、日常的に一流プレーヤーが安く演奏しているような環境とは違うので、やむをえない面があるのだが、日本人は、ジャズの歴史的名盤をよく聴き込んで、非常に奥深いジャズ知識を持っており(オタク?)、ジャズ喫茶のような独特の文化も育んでいた。

一方、ニューヨークでは、ジャズは普通に飲み食いしながら生演奏を聴くものであり、昔の演奏をレコードで聴くことを重視しているアメリカ人はあまりいないように思えた。

 

例えば人気ジャズギタリストのマイク・スターンなども、当時は、10ドルくらいのチャージで、ヴィレッジにあった「55Bar」という安酒場を根城にして演奏していたのだが、日本で高級ジャズクラブの「ブルーノート東京」あたりに出演すると、1万円くらいの音楽チャージになるので、時々、日本に出稼ぎに行くという感じだった。

「55Bar」のカウンターで、今日はマイク・スターンはいないのかと聞くと、常連の酔っ払いが、日本に稼ぎに行っているから、2週間くらいで戻って来るよと教えてくれたりした。

 

レコード店においても、日本の素晴らしくよくできたジャズのガイドブックが薦める歴史的名盤を探すと、結構なかったりした。

新しい演奏が毎日のように発売されるので、基本的に歴史的価値のある名盤にあまり興味がないのだ。

マル・ウォルドロンの名盤「レフト・アローン」を探していたときには、どうしてもニューヨークでは手に入らず、日本に一時帰国したときにようやく買えたくらいだ。

AmazonやYouTubeがある今では、こんな苦労もなくなったのだろうし、そもそも今や音楽は、ダウンロードの時代となり、CDより物理的に面白いレコードが復活して、アメリカでは、レコードの売り上げがCDを上回り、CDがなくなるかもしれない状況なのだ。

 

 

CDが手に入らなかった一方で、マル・ウォルドロンの生演奏は、ニューヨークのジャズクラブ「スウィート・ベイジル」で観たことがある。

マル・ウォルドロンは、ピアノを弾きながら、他のプレーヤーの演奏になると、ステージ上でピアノに座ったまま、よく煙草を吸っていた。

こんなことも、今では許されないだろう。

 

 

同じ「スウィート・ベイジル」で、日本が誇る穐吉敏子の演奏を観たときには、穐吉は自宅から車を運転して来て、駐車禁止のところに車を置いてきたから気になって仕方ないとか言いながら演奏して、演奏後、すぐに走り去って行った。

穐吉はかなり変わっていて、「バードランド」というジャズクラブに穐吉敏子ビッグバンドを観に行ったときには、分厚い電話帳をバサバサ開いてお尻の下に敷いて、ピアノのイスの高さを調節しながら演奏していた。

こんなことは、クラシックのピアノ演奏者は絶対にやらない。

 

ちなみに、その時、「バードランド」に行くために乗った地下鉄Aトレインで、私の横の席に大きな黒人が座り、どう見てもレイ・ブライアントだったのだが、似た黒人かもしれず、声を掛けられないでいたところ、ピアノの鍵盤のネクタイをしており、私と同じ駅で降りて、「バードランド」に向かって歩いてくるので、もう間違いないと思い、レイ・ブライアントか?と声を掛けたら、大いに喜ばれ、「バードランド」の前で肩を組んで写真を撮って、同じ穐吉の演奏を聴いた。

その後、レイ・ブライアントの演奏も聴きに行って、CDのジャケットにサインしてもらった。

そのレイ・ブライアントも2011年に亡くなってしまった。

 

 

さて本題に入ろう(って今までの長話は何だったのか?)。

 

そんなある日のJ&Rで、かかっていたCDに、私は天から音楽の啓示を受けたかのように釘付けになった。

聴いたこともないピアノの音だったが、演奏レベルの高さはすぐにわかった。

カウンターで確認すると、ミシェル・カミロという新しいピアニストだという。

私は、すぐにそのCDを買った。

 

それが、「MICHEL CAMILO」(1988年)という、カミロの記念すべきメジャー・デビュー・アルバムである。

特にこのアルバムの最後の曲である「カリベ(Caribe)」は、その後、カミロは様々な編曲を行い、ピアノ・ソロで演奏することもあれば、オーケストラで演奏することもあるような曲に仕立て、カミロの代表曲になっている。

 

 

 

カミロは、立て続けに、「On Fire」(1989年)というアルバムを出した。

このアルバムの最後の曲「On Fire」は、今でもカミロはよくライヴで演奏し、観客が最も盛り上がる曲の一つである。

 

 

 

この頃(1989年頃)、私は、カミロの生演奏を初めて観た。

「ファット・テューズデイ(Fat Tuesday)」というジャズクラブだった。

予想を超える超絶的な演奏に圧倒され、それ以来、ニューヨーク、東京で、何度もカミロの演奏を観に行くこととなった。

そして、カミロは、やはりレコードやCDで聴くより、実際の生演奏を観る方が、はるかに面白いし、感動するということに気付いた。

やはりジャズの本質は、一度限りの名演を、その瞬間に目撃することにあるのかもしれない。

 

カミロは、ドミニカ共和国サントドミンゴの音楽一家に育ち、ドミニカの音楽院に13年も通ったあと、ニューヨークのジュリアード音楽院でも学んだインテリであり、自分でも大学で音楽を教えていたこともある。

従って、ジャズといえども、クラシック的な素養もあり、先に述べたように、「Caribe」という曲をオーケストラと演奏したりもする。

私は、クラシックの殿堂でもあるニューヨークのカーネギーホールで、カミロが、自らピアノを弾きながら、オーケストラの指揮もとって、「Caribe」を演奏したのを観たことがある。

素晴らしいものだったが、やはり私は狭いジャズクラブなどで、ピアノソロかトリオ演奏で、ジャズとして聴く「Caribe」が好きである。

ビッグバンドの「Caribe」は、CD/DVDにもなっているが、YouTubeのある今では、ビッグバンドでもトリオ演奏でも、YouTubeで観られる。

 

 

 

ドミニカ共和国出身なだけあって、ラテン系のとんでもないノリと、メロディー重視、客を楽しませるサービス精神がカミロにはあり、ステージは圧倒的に楽しい。

メロディーという点では、2000年に出した「スペイン」というアルバムで、グラミー賞ラテン部門を勝ち取っている。

 

 

これだけ圧倒されるステージは、ほかには上原ひろみくらいである。

そのカミロと上原ひろみが、2023年2月28日~3月5日に、ニューヨークのブルーノートでデュオとして共演した。

これはチケットさえあれば、これを観るためだけにニューヨークを往復してもよいと思ったくらい観に行きたかった。

 

 

 

さて、そんなカミロも1954年4月の生まれだから、もうすぐ70歳になる。

あのカミロが70歳かと思うと、何とも言えない奇妙な気持ちになるのだ(それだけ自分も歳を取ったということか)。

先日、今年5月のゴールデン・ウィークに、カミロが「ブルーノート東京」で演奏することが公表され、私もチケットをおさえた。

70歳とは思えないエネルギッシュな演奏をしてくれるはずと期待している。

「Caribe」や「On Fire」を演奏してくれるだろうか?

 

 

何しろ、私などは、最近、日本で大人気のジャズ・ピアニストである高木里代子が、演奏して欲しい曲を何でもリクエストしていいと言うので、カミロの「Caribe」をリクエストして断られたことがあるくらい、「Caribe」という曲が好きなのである。

 

 

 

<了>