大江健三郎が、ゴダールを超えた!
何のことかと言うと、先週発売になった、青土社の雑誌「ユリイカ」の総特集の分厚さである。
昨年(2022年)12月末に発売されたユリイカの「総特集ジャン=リュック・ゴダール1930-2022」は、恐らく、ユリイカ史上最も分厚い総特集(574ページ)で、私を狂喜させ、記念に2冊買ってしまったくらいなのだが、早くもそれから半年で、先週、2023年7月のユリイカ「総特集大江健三郎1935-2023」は、それを上回る分厚さ(662ページ)で出版され、私を圧倒した。
それだけ大江健三郎は、重要な作家だったということなのだろう。
それに異議を唱えるわけではないが、この分厚さは驚きを禁じ得ない。
今後、これだけ分厚い特集が組まれる作家は思いつかない。
過去の作家であれば、もし、今年、三島由紀夫が98歳で死んだとしたら、これを上回る分厚さの特集が組まれたかもしれない。
その記念すべき総特集の最初の記事は、柴田翔が書いており、東大生だった柴田翔が、66年前(1957年)に、「東京大学新聞」に掲載された大江健三郎のデビュー作「奇妙な仕事」を大学構内の外階段に座って読んだときの衝撃が語られている。
村上春樹がなかなかノーベル文学賞をとれないのも、どうしても大江健三郎と三島由紀夫に比較されてしまうことがあるように思えてならない。
大江健三郎は、次第に左傾化して、右翼的な思想を持つ三島由紀夫や江藤淳を嫌ったが、三島由紀夫は、大江健三郎を文学的に評価していて、あまり嫌っていたようには思えない。
そもそも三島は、映画にもなった「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」を観てもわかるように、何の為に闘うかは違っていても、左翼系の学生とその闘争方針や過激さにあまり違いがなく、「天皇と諸君が一言言ってくれれば、私は喜んで諸君と手をつなぐのに、言ってくれないから・・・」というような発言もその場でしている。
大江健三郎は、天皇陛下万歳と言って腹を切るような生き方は到底受け入れられないのだ。
そうした三島の政治的な生き方には、多くの人が共感できないものとは思うものの、それによって彼の文学的価値が下がるものでもない。
やはり三島由紀夫が書いた小説群の文学的価値は、大変に優れているのだ。
ちなみに、本の分厚さで言えば、岩波文庫の「大江健三郎自選短篇」(848ページ)というのが、ほとんど岩波文庫では最も分厚いのではないかと思われる。
これは、私が持っている岩波文庫では、かなりの分厚さである「文語訳新約聖書」(800ページ)より分厚いのだ。
ついでながら、最近出版された本で、その分厚さに驚いたのは、最相葉月の「証し 日本のキリスト者」(KADOKAWA, 1096ページ)である。
この本は「日本のキリスト者」という副題の通り、日本人のキリスト教信者に、それぞれの事情をインタヴューしてまとめたもので、様々な人の事情によって、信仰というものがどう形成され、どう心の拠り所になっているのかを具体的に記録している本で、様々な人生の中で信仰や神の存在を考えた大変興味深い本なのだ。
ちなみに、私は、分厚い本は必ず紙の本で買うことにしていて、電子ブックは馴染まない。
本来なら、分厚い本ほど、電子ブックにした方がよい気がするのだが、ページを飛ばし読みするには、どうしても紙の本の方がよいのである。
私自身は、キリスト教の信者ではないが、子供の頃に、友達に誘われて、教会で行われていた日曜学校と呼ばれるよくわからない学校に行ってみたり、教会でやたら安く「聖書」を売ってくれて喜んで読んでみたり、高校生や大学生になってからは、文学、美術、音楽におけるキリスト教の美しい世界に感動したりもした。
若い頃は、死後の世界を(芸術的に)美しく描いてくれるだけで、キリスト教の意味はあると考えたり、自殺を防止するだけでも信仰には意味があると考えたりもした。
将来、洗礼を受けることもあるかもしれないと漠然と思っているうちに、もう歳をとってしまい、今では、どことなく暗い仏教の死後の世界の方が落ち着くような気がしている。
子供の頃、実家の近所に「小さき花幼稚園」という教会がやっている幼稚園があった。
サッカーに夢中だった我々兄弟三人は、キック力を鍛えるために、サンドバッグをつくることを思い立ち、長男の命令のもと、次男の私と三男の弟の二人は、「小さき花幼稚園」の砂場に、砂を盗みに行った(ちなみに長男は実行犯をやらない)。
袋にいっぱいの砂を詰めて、既にサンドバッグには十分な量だったのだが、もうひとすくいと欲張ったのがいけなかった。
外人神父に見つかり、「ソノスナ、ドウスンデスカ~?」と呼び止められ、砂を戻すように命令されて、さらに「キョウハニチヨウビ、オイノリシテイキナサイ」と言われた。
仕方なく、せっかく詰めた砂を元に戻して、お祈りや懺悔などせずに、家に逃げ帰ってきたのだが、その不始末を指示だけ出していた長男はとがめて、サンドバッグができなかったことを残念がった。
それにしても、あの時、外人神父が、我々に砂などくれてやるくらいの寛容さがあったなら、我々も頻繁に教会に出入りするようになったかもしれないし、信仰だって持てたかもしれないのに、残念である。
また、弟は現在、法学者であるが、幼少期における教会の砂窃盗未遂の過去は消しようもない。
大江健三郎は、1987年10月に、東京女子大学において、「信仰を持たない者の祈り」という講演を行っている。
大江健三郎は、長男(大江光)が知的障害を持って生まれ、小説として「個人的な体験」を書いて以来、小説のテーマが変容して、次第に「祈り」が重要なテーマとなっていく。
この東京女子大学での講演は、大江自身も言うように、信仰を持たざる者が、キャンパス内にチャペルを持つ大学で、信仰を持つ多くの学生に対して、祈りの講演をするという珍しい講演であった。
この講演の終わりの方で、大江は、祈りというものは、結局、この世の中がいつまでも続きますようにという願いではないかと発言している。
大江自身は、キリスト教の信仰を持たなかったが、祈りや魂は重要なテーマであり、核の問題や人類の祈りをテーマとした作品を多く書いている。
大江にとって、森と祈り、死の問題は大変重要なのであって、私など、カンヌ映画祭でパルムドールをとった河瀬直美監督の「殯(もがり)の森」を観たときには、舞台となった奈良の山奥の原風景は大江健三郎作品の森と近いのではないかと思ったくらいだ。
森鷗外「舞姫」のモデルとなったエリスを、ドイツで追跡してついにエリスにたどり着いた物語(「鷗外の恋」)を書いたドイツ在住の作家、六草いちかさんが、大江健三郎の訃報に接したとき、Facebookに投稿した文があり、私は、六草さんが大江健三郎に世話になったという話を知らなかったので、非常に驚いた。
(六草さんのFacebook 2023年3月13日投稿)
朝、一番に目に飛び込んだニュースは、訃報。
「大江健三郎さん死去 88歳 日本を代表する小説家 ノーベル賞受賞」
カプセルに閉じ込められた感じ。
何も聞こえないし、何も感じない。
驚きも、悲しみも。
バスルームに行き、手にすくった冷水を顔に当てる。
斜めに設えられた窓越しに天を仰ぐ。
空はどんよりと重い色をしていて、雨の雫がガラスにぶつかっては線を引きながら流れて落ちてゆく。
寝ぼけているからかな…。私という身体からは感覚というものが抜け落ちたまま無感情にいるのだけれども…ベルリンの空は泣いている。
大江健三郎先生から文章の手ほどきを受けていました。
今の私が作家として自身の書いたものに自信と責任が持てること(=自信を持ち責任が持てると自覚したからこそ発表しているという意味)。その根底には大江先生からの教えがあります。
1999年から2000年にかけて客員教授としてベルリン自由大学で教鞭を取っていらした先生に無理をお願いして文章の面倒を見てもらうようになり、ご帰国を間近に控えたある日、このカードを頂いたのでした。
(本名の部分に
マークを載せています)
弟子証明書?に書き記してくださった通り、長年にわたって書籍を送り続けてくださり、また、私が提出した文章はどれも、細かく丁寧にご指導くださいました。
午後になって外に出ると、青空が広がっていました。
88歳…。
まさに天寿を全うなさったのですね。
R.I.P.
ご冥福を心よりお祈り申し上げます
大江先生。
ありがとうございました。
どんなに感謝してもしきれないほどの思いを込めて。
こころから。
(引用ここまで。)
私は、ある時期からずいぶん長いこと大江健三郎を読まなくなっていたので、まだまだ全体を読んでいるわけではない。
今回のユリイカの総特集は、今さらながら、大江健三郎の存在は、ユリイカをここまで分厚くさせるほどのものだったのだと感じさせた。
大江健三郎も最晩年は、アルコール中毒とやや認知症気味な症状が出て、呂律が回らなくなり、家族は、大江が外に出て人と話すのを嫌がったと聞く。
ノーベル賞作家のイメージを守りたかったのであろう。
大江健三郎にとって森の原風景は生まれ故郷の四国であり、河瀬直美監督にとっては奈良県の原生林であるように、私にとって森のイメージは、富士山麓の森である。
富士山麓に、かつて、オウム真理教事件で有名になった上九一色(かみくいっしき)村という村があった(今は他の市町村に編入されて消滅している)。
上九一色村は、本栖湖や青木ヶ原樹海の一部を含む広大な面積をもつ村であったが、オウム真理教が、サリン製造工場ともなった第七サティアンなど、サティアンを多く建設し、全国的にオウムの村として有名になってしまった。
かつて、私が銀行の融資担当をしていた頃、親しかったA商事という会社があった。
ある時、A商事は、ポルトガル南洋に船を出し、クロマグロを捕獲するというプロジェクトを企画し、5億円の融資申し込みがあった。
A商事は、その他の事業でも融資を受けており、よい担保物権は、その他の融資で使ってしまっていたのだが、なぜか、上九一色村に土地を持っていて、今回のクロマグロ・プロジェクトの融資を受ける担保としては、上九一色村の土地なら出せると言ってきた。
当時は、まだオウム真理教事件も起こっておらず、誰も上九一色村を知らないと言うので、私は得意になって、実家の近くの富士山麓の村で、風光明媚なよい土地であると説明し、正月に自宅に帰省したときには、わざわざ上九一色村に行って、いろいろ写真を撮り、ここまで電気は来ているとか、ドクター・ヴィレッジという医者だけに限った特権階級的な別荘エリアがあるだとか、説明をつけて、審査部に報告した。
そして、審査部は、土地評価額はよくわからないものの、A商事との関係や、私の土地説明を信用して、5億円の融資を承認したのである。
その後、オウム真理教事件が発生し、上九一色村が、実にまずい形で有名になり、審査部は、私に騙されたと言うようになってきた。
私だって、まさかあんな形で有名になろうとは、想像もつかなかったのである。
さらにまずいことに、A商事の船は、いつまで経ってもクロマグロを捕獲できないでいた。
クロマグロが捕れたら、真っ先に刺身を持って行きますと、銀行には連絡があったが、いつまで経っても刺身は来なかった。
実際にクロマグロの刺身が届いたと私が聞いたのは、もう私が融資担当から異動になった後であった。
その後、クロマグロ・プロジェクトが一体どうなったのか、融資は全額返済されたのかなど、あえて確認はしていない。
森とは誠に不思議なものである。
<了>











