高校生の頃、最も熱心に読んだ作家は安部公房である。

 

当時は、現在の安部公房全集(全30巻)ほど立派なものではないが、安部公房全作品(全15巻)という小ぶりな本があって、カバーから出すと真っ黒な装丁に金の文字があり、ずいぶん気に入っていたものである。

今ではこの本は、字が小さくて読めたものではないので処分してしまったが、思い出深い本なのである。

 

当時、安部公房全作品を夢中に読んでいた私は、「次に日本でノーベル文学賞をとる作家がいるとしたら、安部公房である」と、得意気に周囲に話したりしていたものだ。

その背景には、ドナルド・キーンが高く評価していたということもあった。

安部公房も、谷崎潤一郎、三島由紀夫に次いで、ノーベル文学賞を期待されながら、亡くなってしまった。

 

村上春樹が若いと言っているうちに、もう72歳になってしまったのだから、これまたノーベル文学賞を前に亡くなってしまったりしないように、早く日本に順番が回ってきて欲しいものだ。

先般のカズオ・イシグロのノーベル文学賞受賞が、(英語で書かれた)日本文学などと考えられないようにして、純粋な日本文学の順番が来て欲しい。

 

とはいうものの、村上春樹も日本語で書かれたアメリカ文学と言えなくもないし、日本人という意味では、ドイツ在住の多和田葉子氏が最も次の日本人ノーベル文学賞に近いという説もあって、賞の行方は混沌としている。

 

さて、安部公房である。

昨今では、安部公房と言えば「砂の女」という感じになってきている。

「砂の女」は、1962年に出版され、1964年には映画化もされて、岸田今日子が演じている。

 

 

高校生の時も「砂の女」には感銘を受けた。

安部公房の最高傑作であることは間違いないと思った。

でも、当時の私は、安部公房は将来もっとよい作品を書くに違いないと信じており、なかなかそうした作品が出てこないのをもどかしく思っていた。

 

安部公房の晩年は私生活も淋しいものとなり、1992年に脳内出血を起こし、1993年1月、療養中に女優の家から救急車で運ばれて、その2日後に68歳で死去してしまった。

 

「砂の女」は、高校生の時には、シュールな話に思えて、幻想の中に入り込んでいくような緊張感や喜びがあった。

大学を卒業して、銀行員になった私は、文字通り「砂をかむ」ような日々が始まり、自分の芸術に対する感性も次第に衰えていくのを感じていた。

銀行員になってしばらく経ってから、「砂の女」を読んだ。

何の感銘も受けなかった。

 

私の中で、安部公房は、シュールではなく、リアルでつまらない作家に変わっていた。

「砂の女」はロシアで大変人気のある文学作品なのだと知った。

ロシアの人も、こうした閉塞感の中に日々暮らしているのだろうと思った。。。

 

こうして安部公房から離れていった私が、30年以上経って、安部公房に戻ってきたのは、2013年に、安部公房の死から20年経って、山口果林が、「安部公房とわたし」というエッセイを書いたからである。

 

私は、本屋の新刊で見つけて、「ついに書いたか」と思った。

そして、すぐにその本を買うと、その日のうちに夢中になって読んだ。

前衛的な作品とは違った安部公房の日常の人間的な姿が素直な筆致で描かれていた。

私は、もう一度、安部公房を読まなければならないと思って、安部公房全集(全30巻)を衝動的に注文した。

 

 

この本は、単なる暴露本ではなく、山口果林が自伝のような形をとりつつ、安部公房の一人娘の医師である安部ねりが、安部公房全集の編纂にも深く関わり、また「安部公房伝」という本も書きながら、注意深く完全に消し去った山口果林という女優の存在を世に認めさせるものであり、何より彼女自身の人生を肯定したいという思いが感じられた。

 

山口果林は、18歳の時に41歳の安部公房と桐朋学園大学演劇科の教師・学生として知り合い、師弟関係からそれ以上の深い関係になっていく。

 

彼女は、中高年の証券マンならば必ず知っている兜町の老舗本屋で、2009年に惜しまれつつ閉店した「千代田書店」の娘であり、NHK朝ドラ「繭子ひとり」(1971年)のヒロインとして高齢者の記憶に残る女優である。

 

私もストーリーは忘れたが、「繭子ひとり」のヒロインとして、子供の頃から山口果林の名前はずっと覚えていた。

 

 

山口果林は、安部公房スタジオの主要メンバーであり、その芸名も安部公房がつけた。

清純な朝ドラのヒロインとして、「繭子ひとり」のオーディションに合格し、多忙な撮影の日々が始まる前に、安部公房の子を宿していたことがわかり、中絶をして撮影に臨んでいたことなど、本人が書かなければ、知る人は誰もいなかった。

 

NHKは何も知らずに起用していたわけだ。

 

安部公房が死の2日前に、救急車で運ばれたのも、山口果林の家からであり、安部公房は愛人宅から救急車で運ばれたとスキャンダル扱いされた。

 

私は山口果林が20年以上に渡って、いわゆる「安部公房の女」であったことは知っていた。

今回初めて、「箱男」、「方舟さくら丸」、「密会」といった作品が、彼女との生活の中から生まれたものであることを知った。

ようやく山口果林は、安部公房の妻(安部真知)、一人娘の医師(安部ねり)との積年の確執に整理をつけて、とても穏やかで正直なトーンで、すべてを語る気になったのだと感じた。

 

安部公房の妻(安部真知)は、安部公房の死の同年、1993年9月に後を追うように死去し、残された一人娘の医師(安部ねり)も、2018年に64歳で死去してしまった。

こうして、安部公房を巡って、確執が続いた当事者たちが世を去ってしまった後、現在74歳になる山口果林は、一人残されて、穏やかな日々が送れるようになったのだと思う。

 

ある意味、安部公房という呪縛からようやく解き放たれて、晩年を迎えた彼女は、2013年の東洋経済のインタヴューにおいて、以下のように応えている。

「安部さんが亡くなったあと、私は私自身の人生を作り直してきたと思っています。もしあのとき安部公房さんが生き続けていたら……と考えずに、「自由を与えてくれたんだ」と思うようにして、自信を持って生きてきたと今は言えます。」

 

ここで、安部公房の読まなければならない主要著書をご紹介しておこう。

 

1.砂の女

 

 

2.他人の顔

 

 

3.燃えつきた地図

 

 

4.第四間氷期

 

 

5.壁

 

 

「安部公房とわたし」(講談社)は、現在、「講談社+α文庫」として文庫化されているが、単行本にあった口絵写真がなくなっているのが残念だ。

その口絵写真には、二人の親密さがわかる表情があり、安部公房が撮影した若き日の山口果林が裸でベッドに横たわる写真まで掲載しているのだ。

この写真を見た時、山口果林の、安部公房は私のものだという気持ちと共に、全て過ぎ去った後の潔さのようなものを感じた。

 

もう一度、「砂の女」を読んでみようと思う。

果たしてこの小説は、様々な日々が過ぎて、老境に近づきつつある自分に、再び何かを感じさせてくれるだろうか。。。

 

 

 

<了>