ふと思うことがある。

「優しさ」ってなんだろう。



東京には雪が降った。

6センチほど積もったらしい。

次の日の路面は昼頃には大部分が溶けていたが、

背の高い建物に遮断され"日陰"なるところは

道行く人々に踏み固められた雪が氷となり、

その道行く人々の足をとっている。


「今日の靴はコンバースじゃなかった。」


雪のせいなのか、

冬という季節の当たり前なのか、

肌を撫でる空気が刺さるほど冷たい。

何も考えていない阿呆面をした私の口から漏れるのは

「さむい」こればかりだった。


ふと耳に刺したイヤフォンから

チャットモンチーの「やさしさ」が流れた。


♪〜

太陽いつ沈んだの

ビルに隠れて見えなかった


まさに、さっきの凍った路面だ。


明日雨でも

明後日雨雨でも

私を照らして

それがやさしさでしょう?


確かにそうだ。

陽が照らしてくれたら凍った道は溶けて

足を滑らせて転ぶ人もいない。



そう、別にこの歌はこんな雪の日の

路面のことを歌った歌ではない。


そうだなぁ、

「やさしさ」ってなんだろう。



私は散々「"嘘の"優しさ」に振り回されてきた。


こう言えば、人は優しいと思うでしょう?

こうしてあげれば、私は優しいでしょう?


こんなの全部、嘘だ。



あァ、自分ってなんて優しい人なんだろう。


なんて言う人は嘘つきだ。



「やさしい」って自分で書いただけの言葉を相手に押しつけて、そんな「やさしい」自分が好きなだけ。


そうやってペラペラの「やさしい」とだけ書かれた紙を、そのまま「あぁ、やさしいなァ」なんて読んで、

「アイツはやさしい人」だなんて言う。



私も今までずっとそうやって

「やさしい」だけを読んで、

「やさしい人」だと思い込んできた。


でも、実際は違うことが多かった。


押しつけた「やさしい」の見返りを求めたり、

「やさしい自分」に自惚れてる奴ばっかり出会ってきた。


そしてだんだん、都合の良いように人を

支配するための偽りの姿にしか見えなくなった。


大概、当の本人は「自分は優しい」と思い込んでいるから、人を傷つけても自覚が無かった。

さらに言えば、相手の「本当の優しさ」につけ込んで、その優しさをもらうのを当たり前にしてきたりする。


これは"特定の誰か"の話じゃなくて、

こういう人に嫌になる程、出会ってきた。


だから私は「優しい人」を疑った目で見てしまう。


そしてたまに怖くなる。




こんな私が本当に「優しい」と思うのは

その「やさしさ」に温かさを感じる人。


ぺらぺらの「やさしさ」には温度がない。冷たい。


本当に優しい人は、

その「やさしさ」を押しつけないし、

見返りも求めないし、

自分が優しいことに気がついていない。

人のために何かできるのが当たり前で、

自分の身を削って「やさしさ」をくれる。


そんな風に私は思ってる。




だけど、

「優しい」は人それぞれで、

全部が「優しい」に違いはない。


誰かの思う「やさしさ」が、

誰かにとっての嘘だったり、

誰かにとっての傷になったり、


誰かにとっての薬になり、

誰かにとっての温もりになる。



簡単には「優しい」って何かなんて言えないね。



明日ダメでも

明後日ダメダメでも

私を許して

それがやさしさでしょう?



偽りの「やさしさ」なら、私はいらない