人生の知恵(156)
🌈岡山が生んだ日本史上のスーパースター
仏教界、思想界に燦然と輝く🌟巨星🌟
それが、我が郷土の誇り✨法然上人✨です。
生誕の地に弟子の蓮生房が建てたのが
『誕生寺』(久米郡久米南町)です。
幼名を勢至丸と言い、極めて聡明な子供でした。
9歳の時、父親が領地争いの相手から夜討ちに遭い、殺されてしまいます。
🔶「勢至丸よ。決して彼らを恨んではならない。
お前が仇討ちをすれば、相手の子供は、またお前を仇と狙うだろう。果てしない愚かなことだ。
父を思うなら出家して、私の菩提を弔ってくれ…」
この遺言に従い近郷の寺の僧侶となった後、
15歳で比叡山天台宗の僧となり、法然と名を改めます。
研鑽に研鑽を重ね、比叡山に比肩する者がない学識📚を備えるまでに至ります。
しかし、法然上人の本当に凄い所は、ここからです。
🔶「地位や名声、金、財産など世俗的な幸せを得るために僧侶になったわけでない。」
🔶「愚痴の法然房、十悪の法然でも救われる道はないか。」
決死の思いで黒谷の報恩蔵に籠り、想像を絶する忍耐力で一切経7千余巻をひもとくこと、実に5回。
溢れる涙で経文を滲ませながら、泣く泣く読破したと言われます。
そして、43歳の春、ついに
『弥陀の本願』(=他力)によって、魂の解決をなされました。
以来、京都・吉水の草庵で、すべての人の救われる道(浄土仏教)を大衆に説き始められたのでした。
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🔶「天台、真言、華厳、法相などの聖道仏教(=自力)を捨てよ。」
これは、自らの体験と深い仏教学に基づいた主著『選択本願念仏集』に一貫した教えです。
この一冊の本は、当時の仏教界に水爆級の衝撃💥を与え、怒った💢聖道諸宗は結託して、法然上人を非難攻撃したのでした。
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【18番の語源】
🎤カラオケで得意な曲
⚾プロ野球のエースナンバー
・・・などで使われます。
『選択本願念仏集』の
「選択」(センジャク)とは
→選び取ること。
“弥陀の48願”
その中から1つだけを「私の本心」と選び取ったのが18番目のお約束、18願です。
【江戸の語源】
『弥陀の本願』を説いたお経には、過去に現れた53の仏様のお名前が挙げられています。
これをモチーフにして、東海道53次と呼ばれる宿場町が作られました。
「穢土から浄土へ旅立つ」
→「江戸から京都へ旅立つ」
⭕穢土(エド)とは
→「けがれた世」ということで、現世の意。
⭕浄土とは
→「きよらかな世界」
来世、生まれたいと願う極楽浄土のことです。
つまり、家康は、
「俺たち幕府が現世の政治を受け持つ。
だから、京都の朝廷は口出しせず、来世の極楽を願うような儀式的なことに専念してろ!」
という政治的メッセージだったという話です。
【自力と他力】
「自力優勝した」
「他力本願ではいけない」
など、よく使われ、耳にしますね。
⭕『自力』とは
→魂の解決を自分の力(修行など)でしようとすること
⭕『他力』とは
→弥陀の本願力のこと
日頃、間違った使い方をしているのがよく分かりますね。
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貴族、武士、庶民、男も女もこぞって、吉水の草庵へ群参しました。
これは、
・世を捨て山に入った
・厳しい修行をする
・男のみ
そんな人が対象だった仏教と比較すれば、驚くべき大改革だったと分かると思います。
人徳もあり、お弟子は380余人いたと言われます。
中でも特に有名なのは、親鸞聖人でしょう。
もし、法然上人が現れていなければ、今日の日本人の思想、社会は大きく異なっていたに違いありません。
☀終わり
′ 岡山、または近県の仲間たちが定期的に集まって食事や勉強会などの活動をする社会人サークルを作ってます(^_^)v