「沸騰は荒野にこそふさわしい」
ネット上の告知でみたその言葉にひきつれられました。
アーティスト 元村正信さんの個展
「沸騰する荒野」
とてもしびれるタイトルです。
何もない、風吹きすさぶ冷たい土地というのが私の荒野のイメージでした。
「沸騰」するような熱源が荒野にあるものだろうか…と思いながら、早速足を運びました。
場所はギャラリー、EUREKA(エウレカ)さん。
(福岡市中央区大手門)
静かで趣のあるビルの2階にあります。
扉をあけて、目に飛び込んできたビビッドな色の絵たちに駆け寄りたくなります。
なかでもメインビジュアルのこの作品に一番惹き付けられました。
(DMの写真より)
ここからは私の個人的な想像と、私が感じた妄想なので、実際の元村さんのおもいとかけ離れていたら大変申し訳ありません。
それを承知の上で書かせていただきます。
背景のオレンジ色は実物は写真よりも明るく、無邪気ささえ感じました。
ダイヤのモチーフは、カラフルなキャンディーを思いました。
しかし、段々と眺めているうちに印象が変わってきました。
二脚の椅子はそのからだの一部が他所にのびており、空に浮かんでいるようです。
「浮かんでいる」というよりも、クモの巣にかかって自由を失っているようにも感じます。
椅子の座面から背もたれにかけて描かれた模様は、晴れた日の芝生のように優しい柄ですが、みているとベルトコンベアのようにグルグルと回り出すようにも思えます。
事故を起こしてガシャンとひっくり返った自転車の車輪がカラカラと虚しく回るような印象をもちました。
筆跡の残るオレンジの背景は、見てうるうちにカラフルなひし形のモチーフを飲み込み渦巻いて、椅子たちを翻弄しているようにも見えます。
そして工業製品のような無機質な白い線(椅子の脚)が絵の上をザッと走っていきます。
蠢くモチーフたちにそそがれる、稲妻の閃光のようにも感じました。
キャンバスが生きているようで、こんなふうに動きのある絵が描けるものなのだ…と見入りました。
元村さんの言葉はなかなか難解です。
正直、私のひ弱な想像力は作品に対する印象を元村さんの言葉に結びつける力がありません。
ただ、現在が「荒野」であると言うのは分かるような気がしました。
ふと「荒野」というワードからエミリー・ブロンテの「嵐が丘」を思い起こしました。
強いものしか生き残れない荒野の中で、鬱屈とした環境をうちやぶるような激しい怒りや情熱をぶつけ合う人間たちの姿が頭に浮かびました。
それこそ荒野が産む熱源なのかもしれません。
上の写真の元村さんの言葉には「沸騰」の意味に市場価値の高騰の意味や、生存自律のための抵抗、を重ねていますが、このスペースでは語りきれない思いがおありになると思います。
「沸騰は荒野にこそふさわしい」
という言葉に、”虚構や欺瞞”の渦巻く荒野で抗い続ける者たちに対する優しい眼差し…というのでしょうか…
いたし方ない、という気持ちの中にも小さなエールのような、祈りのようなものを感じたのでした。
(あくまでも私の想像です。違っていたら申し訳ありません。)
この作品の他にも椅子のモチーフの大作が数点、それから小さなキャンバスに描かれたものも大変見応えがありました。
小さな絵はご自身が頭に浮かんだことを絵にされたものだそうです。
何が描かれているのか、ではなく見たものをそのまま受け取って自分の心に何が浮かぶのかを楽しみながら拝見しました。
「あら、この景色、夢によく出てくるわ」
そんな一枚があって、すごく嬉しかったです。
写真で紹介できないのですが、ぜひご覧になっていただきたいです。