息子がホストになることを

止めなかった理由。




私が心のことにはまって8年後に息子はホストになった。


きっとこのことをブログに書いてこなかったのは、書いても理解されないと勝手に思い込んでいたから。


人は自分の思い込みによって行動を制限する。





心のことを学んでから、自分の行動を決定づけていたのは、自分の潜在意識に埋め込まれている思い込みだと知った。


人は育った環境の中で色々な常識(マイルール)ができあがり、そのマイルールによって行動が変わる。





心のことを学んでからずっと私がやってきたことは、そのマイルールをひとつずつぶち壊していくことだった。


それは自分が少しでも自由に生きるために。

少しでもラクに生きれるように。






最初は恐れのオンパレードだった。マイルールをぶち壊すときは、それが大きなことであれ小さなことであれ、大げさに聞こえるかもしれないが、最終ひとりになってもいい覚悟をする。




そして、数年間自分なりに人体実験をしてきた結果はすべてにおいてマイルールをぶち壊しても結局は「大丈夫」だったということ。






もちろん「途中もう無理かな。」と引き返してしまうこともあるし、未だにぶち壊せていないマイルールも山ほどある。でもぶち壊したものを今振り返るとひとつとして大丈夫じゃなかったものはなかった。





40代になってからこのことを知った私は、自分のこの経験(マイルールの外にでる経験)を少しでも若いうちに娘と息子に体験してほしかった。





私は夜の世界を知らない。

そこには私たちが心配してるようなこともあるかもしれない。

でも夜の世界でしか学べないこともあるかもしれない。それは、私にはわからない。何故なら単純に私がその世界を体験したことがないから。

その世界にいったからこそ出会える人もいるだろう。




人は自分の知らない世界に恐れを感じる。

それは想像の世界でしかないにも関わらず、きっとこうだと思い込んでしまっているからだ。





小さいときからずっと娘と息子をレールにのせてきた。

自分のルールが正しいと思っていた。

自分の思い通りの子供に育ってほしかった。

そうじゃないと、私が素晴らしい母親になれなかったのだ。

世間体が一番大事。

人からどう思われているのかが何よりも大事だったのだ。




私が心のことを学んで一番最初に手放したものが子育てだった。

8年後、息子は私が想像もしていなかった世界に足を踏み入れた。少しずつ何年もかけて手放していってたからか、「夜の世界で働くことはありえない」というルールを手放すことは私にとってそんなに難しいことではなかった。





ホストになったことで、もしかして大変な目にあうかもしれない。

でも40代になってわかったことは、

「人は自分で体験し、自分で気づきたい生き物なのだ」ということ。




いくら他人に言われても、自分が体験したことでないと、本当の意味で魂の奥底には刻み込まれないのだ。それは魂の目的が「肉体を使ってこの世で体験する」ということだからかもしれない。






人生にはその人が決めてきた学ぶタイミングがある。

きっとそれはその人が生まれる前に決めてきた「人生スケジュール」に沿っているのかなとも思う。






他人からみたら大変なことも、

上手くいっていないようにみえることも、最悪にみえる出来事も、その人の魂がきっと自分で体験したかったことなんだろう。





同じ失敗を何度も繰り返すのは、

魂がもっと学びたいときなのだろう。

何度も何度も「この方法だと上手くいかないんだ」ということを繰り返し確認したいのかもしれない。



息子がホストになることを止めなかった理由。

それは、最後に息子は大成功すると信じているからではない。




どんな人生を送っていたとしても

「息子の魂はそれを体験したいのだ」と思っているから。





私が死ぬかもしれないのに、癌の治療をしないと決めたときのように。

魂が体験したいことは、ときには私たちが創造もしないことにチャレンジしたくなる。





人間社会からみるとどんな人生であっても、魂の視点からみると、「ただこの世で色々な体験をし存在してくれていること」が魂の望みなんだろうなーと思うのです。