皆さんこんにちは。協力隊の橋本です。
笠間市の昔話に、村人がきゅうりを作ってはならないという掟を破って罰が当たった話があります。最終的に市野谷地区の天王様にお参りして静まったというお話です。
そんな話があることを所属課で話したら、江戸時代の武士はきゅうりを食べてはいけなかったと聞いてびっくり。何故だか分かりますか?
理由は諸説ありますが、そのひとつに、きゅうりの輪切りが、徳川家のご紋“三つ葉葵”にそっくりだからとのこと。特に徳川家の武士は食卓にきゅうりが出されるものならば、打ち首や切腹もしなければならなかったとも伝えられています。
その晩、早速きゅうりを買って帰り実験。しかし現在の種の少ない細いものだと、模様が今ひとつはっきりしません。太いのでなきゃ駄目といわれ、後日直径5センチのものを買ってきてバッサリ。確かに似ているかも...
ちなみに笠間市の宍戸地区は、江戸時代宍戸藩松平家が治めていたため、家紋には葵のご紋が使用され、それをもとにして宍戸地区の学校の校章はデザインされていると伺いました。
(左から宍戸松平家、宍戸小学校、友部高校)