山手線の原宿駅の前から隣の代々木駅の近くまで続く明治神宮の森。

首都東京の中心部とは思えないほどの広大な森になっています。

この森の中には何本かの参道がありますが、参道から森の中への立ち入りは禁止されており、森の中の動植物の生態系が壊されないように守られているのです。

 

この森に関して、最近こんな報道を耳にしました。

 

『古くから明治神宮の森の住人であったシジュウカラが、もうすぐこの森の中から姿を消してしまうそうです』

“やはり、こんな都会の中では動植物の生態系は守れないのか…”

などと残念に思いながら聞いていると、この報道には続きがあって、

『この森の次の住人はヤマゲラになるそうです』

 

この報道が伝える真相は、初めはマツやヒノキといった針葉樹が多かった明治神宮の森が自然に成長を遂げ、カシやシイなどの常緑広葉樹を中心とする、安定した『極相』を迎えようとしている、というものだったのです。

そのため、陽樹の森を好むシジュウカラが少なくなり、陰樹の森もOKなヤマゲラがこれからの主な住人になるというものでした。

 

明治神宮の森は、1912年に崩御した国民に人気のあった明治天皇を尊崇するために、1915年に造営工事が始まりました。

林学者の本多静六や実業家の渋沢栄一らが中心になって計画を進めたようです。

鎮守の森を後から作るということで、スギの森を推す声が多かったようですが、地域の気候風土に適合する樹木を集め、百年続く『永遠の森(杜)』を目指したのです。

しかし、全国から寄進された十万本近くの樹木にはこの計画に合わないクロマツ、アカマツ、ヒノキ、スギ、サクラ、ケヤキといった針葉樹や陽樹も多かったようです。

それでも、これらの樹木も無駄にしないようにうまく配置し、人の手を加えないで森林自体が自然に成長し、150年後にはシイ、カシ、クスなどの常緑広葉樹による安定した『永遠の森(杜)』になることを願ったのです。

ですから、彼らには生前に成長した森林の姿を目にすることはできなかったのですが、彼らの計画通りに森林は成長し、150年を待たずに100年を超えた辺りですでに安定した森林の『極相』を迎えようとしているのです。

 

このような計画が認められた背景には、日本人には古くからあらゆる自然物や自然現象の中に神が宿っているとする『八百万の神(やおよろづのかみ)』という考え方があったからのようです。

どうやら、私自身もこれに近い考えを持っているのか、地域の気候風土に適合した陰樹の大森林が大都会の真ん中に存在していることに、日本人としての誇りを感じてしまいます。

 

少し昔の話になりますが、明治神宮の森に関して、こんな特別な思い出があります。

 

大学生の時、同じサークルに所属していた後輩の女の子と二人で、梅雨の時期に明治神宮内にある菖蒲園を訪れたことがあります。

その日は小雨が降っており、この小雨が原因なのか、その日の気温と湿度が原因なのかはわかりませんが、森の中が濃い霧で覆われていたのです。

参拝客も少なかったことから、前後を歩く人達の話し声は聞こえてくるのに姿は見えないといった状況でした。

白い霧と霧の中にたまに見える黒い木々の樹皮だけのモノクロの世界の中で、隣を歩く彼女の赤いエナメルの靴の色彩の対比が印象的でした。

そして、さらに不思議な印象を受けたのが、森の近くを通る首都高速道路を走る車の音が、まるで川の滝を流れる水音のように、『ゴー、ゴー、ゴー、ゴー』と絶え間なく高い位置から聞こえて来ることでした。

まるで、大都会のど真ん中から何百キロも離れた山の奥に、突然ワープしてしまったような印象を受けたのです。

                            〔カーネル 笠井〕