ロシアによるウクライナ侵攻が始まってから、もうすぐ一年になろうとしています。

これを伝える当初の報道では『戦争』、『侵攻』という表現が多く使われていました。

ところが、最近になって『狂気』という表現を良く耳にするようになったのです。

そして私も、この『狂気』という表現が一番適している、と思えてきたのです。

 

この侵攻が始まってからしばらくは、『ロシアとウクライナの戦争が始まった』という表現を耳にすることが多くありました。

ただ、この表現には、何かこの侵攻を正当化するような印象を受けてしまい、少し違和感を覚えていたのです。

これだけ国際交流が盛んになり、お互いに補足し合いながら存続している現在では、お互いに消耗し合う戦争などはもう有り得ないと考えていたからです。

 

それなら、『ロシアによるウクライナ侵攻』という表現はどうなのでしょうか。

侵攻は、軍事力の強い国が弱い国に対してしか行われません。

このとき、軍事力の強い国の方に非があったとすると、きっと、今回のように多くの国々が非のない国を応援するのではないでしょうか。

その結果、終わりの見えない戦いが続くことになり、結果がどちらに転んだとしても、お互いの損失は計り知れないほど大きなものになってしまいます。

 

『プーチン大統領の狂気』による侵攻は、ウクライナの現政権を『ネオナチ』とみなすプロパガンダ(主義・思想の宣伝)で始まりました。

この狂気は、今のところプーチン大統領の側近達にはまだまだ影響力があるようで、なかなか方針の転換が望めません。

それでも、狂気の伝播力は必ず時間と共に薄れていき、この戦いは『戦争』でも『侵攻』でもない、個人の『狂気』によるものだと気付くはずです。

こうなって始めて、この狂気の行方に終わりが見えてくるのです。

 

世界中がインターネットでつながり、どんな些細なことにも世界中の人達が注目しています。

こんな現代社会に於いて、『戦争』や『侵攻』などは、もう使われることの無い死語に近いものだと思えてくるのです。

そして、誰のものでも『狂気』はあくまでも狂気であって、『いつの時代に於いても許されない』と、早く気付いて欲しいと思うのです。

                          〔 カーネル笠井 〕