2022年の大晦日に、佐渡島の両津交番に、『困っている人に少しでも役立てば幸福です 月光仮面』といった手紙とともに、一万二百七十円の寄付金が届けられたそうです。

このお金は、一年かけて少しずつ小銭を貯めたものらしく、実は、1974年から毎年続いていて、今回で48回目になるのだそうです。

 

このニュースを聞き、この寄付が始まるよりもまだ少し前の私が高校二年生のときに佐渡島で体験した、今でも胸が熱くなる出来事を思い出しました。

 

そのころの県立高校では、家が学校から遠かったり、学校までの交通の便が悪かったりする生徒に対しては、オートバイによる通学が許されていました。

そんな生徒が各学年に数人いて、生徒用の自転車置き場には何台ものオートバイが置かれていたのです。

そんなことから、この他の生徒でも、休日や長期休暇中のクラブ活動のときにはオートバイで学校に来る者が沢山いて、私もそんな生徒の一人でした。

 

夏休みの少し前、同じクラスの友人からこんな話を持ちかけられました。

「君がオートバイに乗っているのを知っている僕の友達から、君のオートバイと彼のオートバイに三人で分乗し、夏休みに一緒に佐渡島にツーリングに行かないかと誘われたんだよ。細かい計画は彼が立ててくれるそうだから、一緒に行かないか?」

 

まだ、顔も知らない相手からの誘いでしたが、この時分では、友達の友達ならば信用できるという考え方が当たり前でしたので、私はすぐそれに同意しました。

 

夏休みの中頃になって、一台のオートバイに二人が乗り、もう一台の助手席には荷物を積んで出発しました。

直江津港からはフェリーに乗り、佐渡島の小木港で下船し、ここから佐渡島でのツーリングが始まったのです。

 

一日目の夜は両津港近くの湖の畔で、二日目の夜は佐渡島の最北端にある二ツ亀海水浴場の海岸で野宿し、三日目の夕方には佐渡島の西側の海岸に到着しました。

平らに削られた海食棚の広がる海岸でしたが、この日は風が強く、波も高くて野宿のできるような場所がどこにも見当たりません。

そこで、どこで一晩を過ごそうかと三人で相談していたのです。

 

そんな私達の様子をどこからか見ていたのでしょうか、一人のおばあさんが近づいて来て声をかけてきました。

「あんたら、今晩泊まる所を探しているのだろう。家で民宿をやっていて、まだ部屋が空いているから、私の家に来て泊まって行きなさい」

もともと、私達も一泊や二泊は民宿に泊まることも計画していたので、少し相談してから、すぐにそこでお世話になることを決めました。

 

その民宿では二階の部屋に案内され、久しぶりに入浴し、おいしい夕飯をいただくことができました。

 

翌朝、次の目的地に向けて出発するために事務室に宿泊費の精算に行ったときのことでした。

「あんた達からお金をもらうために連れて来た訳じゃないよ。だから、お金の心配はしなくてもいいんだよ」

「でも、僕らは泊まることも計画して佐渡島に来たので、お金を払わないわけにはいきません」

 

こんな掛け合いをしばらく続けましたが、このツーリングを計画した友人がどうしても譲りませんでした。

「すまないね。お金をもらうつもりで連れてきた訳じゃなかったのにね」

「僕達こそ、ゆっくり休ませていただき、すっかり疲れが取れました」

 

私達三人共、これだけお世話になって、ちゃんと料金を払わないなんて考えはありませんでした。

まだまだ純粋で、正義感が強かったのだと思います。

 

こんなこともあり、私達の佐渡島でのツーリングの旅はとても楽しかった思い出になって終えることができたのです。

そして、今でも『佐渡』と聞くと、あのときのおばあさんの人情を思い出して胸が熱くなるのです。

                          〔 カーネル笠井 〕