もし、人間とコロナウイルスとが敵対関係にあるとしたら、コロナウイルスにはジレンマ(板ばさみ)があることを最近になって知りました。

それは、コロナウイルスの持つ『毒性』と『感染力』とのジレンマです。

 

たとえば、あるコロナウイルスの『毒性』が強く、感染した人をすぐに重症化させてしまうと、それがすぐに周りの人に分かってしまい、その人が隔離されたり、最悪の場合には死んでしまったりします。

すると、それは感染したコロナウイルスにとっても死を意味するのです。

 

一方、あるコロナウイルスの毒性が弱い場合には、感染した人もそれにはなかなか気付かずに活動するため、多くの人に感染させることができるのです。

つまり、この場合には『感染力』が強いウイルスということになるのです。

結果、毒性が弱く感染力の強いコロナウイルスだけが生き残れるのです。

 

毒性がもっと弱い場合には、感染した人もそれに気付かず、その人から感染させられた人も気付かないため、人間とは『共存』あるいは『共存共栄』の関係になります。

実は、人間の遺伝子の中にも、そんなウイルス由来のものと考えられる遺伝子がいくつも残されているそうです。

 

新型コロナウイルスに関しては、日本での流行は、まず、中国の『武漢市』由来のものの感染から始まりました。

そして次には『ヨーロッパ』や『アメリカ』由来のものに変わり、現在では『東京』や『埼玉』由来のものに変遷してきているそうです。

 

新型コロナウイルスの最大の特徴は、どうやらすぐに変異することのようです。

これが悪い方に出ると、せっかくワクチンを作っても、すぐにそれが効かないものに変異したウイルスが誕生してしまうことになります。

 

数日前、イタリアでの新型コロナウイルス感染者の死亡率が感染拡大当初に比べて著しく低くなっている、との報道がされました。

ここでも、毒性の強い新型コロナウイルスの封じ込めに成功し、弱毒化した新型コロナウイルスに変異したものだけが感染力を保って蔓延しているのではないでしょうか。

 

このような情報を耳にすると、現在流行している新型コロナウイルスは『毒性』よりも『感染力』を選択したものが中心になっていると思えるのです。

 

現代医学とウイルスとの関係を考えたとき、私達はウイルスをただ恐れるのではなくて、ウイルスには『毒性』と『感染力』というジレンマがあるのだから、ウイルスの変異との付き合い方を考える必要があるように思えてきます。

つまり、何らかのウイルスが発生したら、いかにしてそれを弱毒化したウイルスに変異させるかの研究が必要になってくるのではないかと思えるのです。

                                 〔カーネル笠井〕