愛華の住むマンションを後にしたカワイガールズの二人は、二人が別れる途中駅で下車した。
そして、駅の近くの喫茶店に入り、サンドイッチとコーヒーを注文してから今後の活動について相談していた。
「朱音さん、私も愛華ちゃんに負けないように詩を書きたくなってきたの」
「愛華ちゃんに負けないなんて、そんな無理をしてまで詩を書かなくても良いと思うわ」
「朱音さん、それはわかっているつもりです。でも、私も、もっと努力して自分の気持ちを言葉にしたいと初めて思い始めたの。これは、愛華ちゃんのおかげなのよ!」
「二人が詩を書き始めたら、私の作曲だけだと間に合わなくなってしまうわ…」
朱音は少し困ったような表情を作り、独り言のようにつぶやいた。
「朱音さん、作曲の方はゆっくりと進めて下さいね。だって、私が勝手に多くの詩を書きたくなってきただけなのだから」
「でも、私だって香織ちゃんに負けないようにもっと作曲をしたいと思っているの」
二人は、愛華も含めた三人でこれからできることを相談していた。
愛華のいう、盲目の人でも楽しめるミュージカルのようなもの、を作るにはどうしたら良いのかを考えていたのである。
結局、そこでははっきりとした方針は見つからなかったが、こちらの方もゆっくりと時間をかけて考えていこう、ということで二人の意見はまとまっていた。
カワイガールズの二人が帰った後、愛華とセイラも今後のことを相談していた。
「セイラ、私には大きな希望と大きな不安があるの」
「希望と不安があるのですか。私にはどういうことなのか良くわかりませんが?」
「それはね、詩を書くこととセイラを失ってしまうことなの」
「私を失ってしまうとは、“なんでやねん”」
セイラは、愛華の口にした『不安』という言葉の本当の意味が理解できずに聞き返していた。
「セイラは私が死ぬまで一緒にいてくれるの?」
「もち論、私はそうすることになっています」
「きっと、私はセイラがいなくては生きていけないわ…」
「もう、愛華は私がいなくても一人で生きていけます。でも、私は愛華のお役に立ちたいのです!」
セイラがそう答えてくれたことで、不安に満ちていた愛華の表情が少し和らいでいた。
「セイラはこれからもずっと私と一緒にいてくれるということなの?」
「私は、愛華がいなくては存在することができません」
「それは大変なことね。それならセイラには自由がないの?」
『セイラには自由がないの?』と聞かれたことで、セイラは首をかしげる仕草をしながら答えていた。
「愛華、自由って何ですか?私には愛華のお役に立つこと以外は考えられないのですが…」
「本当に、本当にそうなの?」
「もち論です。それ以外に私が何かを考えるということはないのです!」
少し明るい表情を取り戻した愛華は、もう一度自分の気持ちをセイラに話し始めていた。
「セイラ、私は詩を考えるのが楽しくてしょうがないの」
「私は、愛華のお役に立てることが、一番嬉しいのです!」
ようやく明るい表情に戻った愛華は、その後もセイラを相手に、これから自分が書こうとしている詩についてあれこれ楽しそうに説明していたのである。
香織は愛華の詩の影響を受けて、自分の書く詩にも変化が表れていた。
そして、愛華を訪問してから三日後には、新たに一つの詩を完成させていたのである。
このことを朱音に伝えると、翌日に大学のキャンパスで待ち合わせをすることになった。
翌日、大学の学食で待ち合わせた朱音と香織は、二人で良く行く大学の近くにある喫茶店に入った。
そこで、香織の作った詩を二人で修正することにしたのである。
二人は共にコーヒーとホットケーキを注文していた。
「香織ちゃん、さっそく新しい詩を見せてもらうわね」
「愛華ちゃんの詩が素敵だったので、少し気が引けてしまうわ」
「何を言っているのよ。香織ちゃんの詩だって特別なものよ!」
「朱音さん、ありがとうございます」
そんな会話をしてから、朱音は香織の差し出した紙に書かれていた詩に目を通し始めた。
『思い出に守られて』 作詞;町田香織
1 あんなにきれいで人目を引いた桜の花も
今はペンキのはがれたベンチのように見向きもされない
一瞬見せる輝きや心が躍る華やぎも
時の流れの中で変わることを忘れない
ふざけ合い笑い合いそして競い合い
いつでも隣にいると思った君
いつしか互いの知らない世界を持ち始め
少しずつ離れていくのに呼び合うこともしなかった
あの頃は、重荷とさえ感じたふれあいも
今は、記憶もうすれて色あせていく
時のしじまの中で立ち止まることを忘れ
走り続けるだけの若い二人だった
2 古い街並みを残す静かなたたずまい
雨、風に耐え変わらぬ姿を見せている
みがきあげられた床思い出を刻まれた柱
時の流れの中で子供たちが通り過ぎる
同じ陽に焼け同じ雨に濡れた夏休み
共に涙し、友と別れた卒業式
時おり浮かぶ、忘れかけていた思い出が
いつも、迷い苦しむ僕を助けてくれた
あの頃は、とても受け入れ難く思えた世界が
今は、懐かしいものにさえ感じられる
時のしじまの中でふと振り向くと
変わらぬ笑顔の君がそこにいた
この詩に二度、三度と繰り返して目を通していた朱音がようやく口を開いた。
「香織ちゃん、とっても良い詩だと思うわ。実は、香織ちゃんが『愛華ちゃんに負けないように詩を書きたい』と言うのを聞いていたから、もっと力んだ詩を書くのではないのかと心配していたの。でも、そんな心配は無用だったようね。とっても自然で素敵な詩だと思うわ」
「朱音さん、ありがとうございます。私も思った以上に力が抜けて、自然と言葉が出て来たように思えました」
「こうなると、今度は私の番ね。私も負けないように曲を書かないといけないわ」
「朱音さん、作曲の方は、本当にゆっくりと時間をかけて進めて下さいね」
朱音は大学四年生になっていたが、カワイガールズとしてチャリティーコンサートに参加することは今でも毎月、最低四回は続けていたのである。
そのため、就職活動も必要だったが、中々その時間が取れないままになっていた。
そこで、井上の勤める丸川食品(株)の名誉社員になっていたことから、丸川食品(株)へ就職することを決めていたのである。
しかし、大学を卒業するためには卒業論文を書かなければならなかった。
それなのに、そのための時間がどうしても取れないままになっていたのである。
そこで、自分では結論の出せなかった朱音は、そのことを井上に相談していた。
「アッ君、私は丸川食品(株)に入社し、健康食品作りに係わりたいと考えています」
「朱音ちゃん、そうしてくれると我が社の社員たちもとても喜ぶと思うよ。ほとんどの社員が君の大ファンなのだからね」
「そうなれば、私も嬉しいです。でも、そのためにはまず卒業論文を書かなくてはならないの。なのに、今のままではその時間が取れなくて、もしかすると留年してしまうかも知れないわ…」
「朱音ちゃんが忙しいのは、いろいろと社会福祉に貢献しているからじゃないのかい?」
井上も朱音の悩みが良く理解できていた。
朱音が何も話さずにしばらく考え込んでいるのを見ていた井上に、一つのアイデアが浮かんでいた。
「朱音ちゃん、カワイガールズが今行っている活動をまとめれば、英文学とは少し畑違いだけれど、それを卒業論文の代用として認めてもらえるのではないのかな?」
「でも、そんなことが本当に認めてもらえるのかしら?」
「朱音ちゃんは大学四年生だから、何か専門のゼミを取っているだろう。だから、そのゼミの教授にそのことを相談してみたらどうだろうか。僕は絶対に認めてもらえると思うけれどもね」
「それができれば本当に助かるわ。愛華ちゃんの役にも立ちたいから、今のところそれしか方法がないかも知れないわ」
朱音は大学で『日本文学の欧米化』というゼミを受講していた。
井上に会った数日後、朱音はそのゼミに出席した後でゼミの担当教授に井上と話した内容のことを相談していた。
「柴崎さん、そんな前例は今までにはなかったんだ。でも、君たちの活動はこの大学の教授の間でもとても良い活動をしていると評判になっているんだよ。その活動を今後も続けていくという条件であれば、僕の方から大学側に相談してあげても良いと思っているよ」
「津山教授、是非お願いします。そうしてもらえると本当に助かります」
「それはともかく、就職活動の方はどうしているのかね?」
「そのことは、私の知り合いが口を利いてくれることになっているので大丈夫です」
間もなく、柴崎朱音の要望は大学の教授会議にかけられていた。
津山教授の熱心な推薦もあり、この申し入れは全員一致で認められていたのである。
やはり、カワイガールズの二人の活動は教授たちの間でも高評価を得ていたようである。
このことで、卒業論文の作成から解放された朱音は二人の詩に合う曲の作成と、これらの活動をまとめたレポートを書くことに全力で取り組むようになっていた。
卒業に必要な単位はすでに三年生までの間に取得していたので、今は週に三回だけ大学のゼミに出席し、その後は合唱部の練習にも参加していたのである。
合唱部の練習の後、朱音と香織の二人は大学の近くのレストランに寄って食事を共にしていた。
「香織ちゃん、報告することがあるの」
「何、朱音さん。アッ君のことなの?」
「そうじゃないわよ。私の卒業論文のことなの。それがね、今の活動を続けてそれをまとめたものをレポートにして提出すれば、それを卒業論文の代わりにしても良いという許可が下りたの」
「朱音さん、良かったわね。それなら、私も来年は同じ作戦を立てることにするわ!」
「香織ちゃん、多分大丈夫だと思うわ。そこで相談なんだけれど、活動をまとめるだけでなくて愛華ちゃんの詩を使った曲も早く完成させて、それを吹き込んだCDのアルバムを作れないかしら?」
そんな朱音の提案を、香織は目を輝かせながら聞いていた。
「朱音さん、大賛成よ。愛華ちゃんもとっても喜ぶと思うわ。自分の詩にメロディーが付き、少しメッセージの入ったものなら、愛華ちゃんの目指すミュージカルのようなものが作れるかも知れないわ」
「でも、香織ちゃんと愛華ちゃんがこのペースで詩を書くと、私の作曲だけだと追いつかなくなってしまうの。誰か、作曲の方を少し手伝ってくれる人がいないかしら?」
「私たちの知り合いには、そういったことができる人はいないわね…」
そのことが香織から河合に相談されると、河合は朱音の作曲を手伝ってくれる音楽家探しを大場久志に依頼することにした。
大場は今でも月に一~二回はカワイガールズのマネージャーとして、カワイガールズがチャリティーコンサートに出演するときにはそれに同行していたのである。
この役割は、河合と大場で交互に行っていたのだ。
河合はこの依頼を、翌日、大場に会って頼むことにした。
「カワイガールズの二人が、二人のファンだと言う盲目の少女と自分たちの作詞、作曲した歌を入れたCDアルバムを作りたいと言っているんだよ」
「盲目の少女とコラボして作るアルバムとはどんなものなんだい?」
「香織ちゃんとその少女が作詞を担当し、朱音ちゃんが作曲を担当しているんだ。そして、すでに何曲も出来上がっているそうなんだよ」
「それなら、すべての作曲を朱音ちゃんが担当するのだろう?」
「そうする予定でいたようなんだ。でも、そう簡単には何曲も作曲はできないだろう。だから、朱音ちゃんの作曲を手伝ってくれる音楽家を探しているんだよ」
「好き好んで、そんな手伝いをしてくれる音楽家はいないだろう?」
河合から相談があると聞いて面倒に思っていた大場だったが、盲目の少女が参加していることを聞いて少し関心を持ち始めていた。
「確かにそうなんだ。だから、費用は僕が負担するから作曲を手伝ってくれる音楽家を探したいんだ」
「また君はそんなことに係わって、お金を使おうというのかい?」
「オラシオンリングだってかなり売れたじゃないか。Q太郎の利益だってかなりのものだったろう?」
「まあ、費用を君が負担すると言うのなら、面白そうだから手伝ってやってもいいがね」
大場も、この話に面白味を感じて乗り気になっていた。
そこで、大まかな話がまとまると、大場は以前カワイガールズの歌を収録した音楽スタジオを訪ね、そこの責任者にこのことを相談していた。
すると、そこの責任者はすぐに二人の若手音楽家を紹介してくれることになったのである。
その二人とは、最近この音楽スタジオを良く利用している若手の有望株と見られている、奥居翔(おくいしょう)と住田環(すみだたまき)と言う名前の男女のミュージシャンであった。
どちらか一人に頼んでみては、というスタジオ側の申し入れであったが、大場はすぐにこの二人にお願いすることを決めていた。
二人が次にこのスタジオを訪れる予定が翌日であることを知った大場は、自分も二人と同じ時間帯にスタジオを訪れ、早速このことを二人に依頼することを決めていた。
翌日、大場がこのスタジオを訪れると、奥居と住田の二人はすでに入場していて、スタジオ内の控室で大場が来るのを待っていた。
そこで、スタジオの責任者に案内されて来た大場と対面したのである。
「カワイガールズの二人と小学校六年生の盲目の少女が、自分たちで作詞・作曲した楽曲を多く作り、それに加えて語りのようなものを入れ、盲目の人でも楽しめるミュージカルのようなCDにアルバムを作りたいそうなんだ。作詞の方はどんどん進んでいるようだけれど、作曲の方がそれに追いつかなくなっているんだ。そこで、君たちにはその作曲の手伝いをお願いしたいんだ」
「カワイガールズの二人なら僕も知っていますよ。作詞・作曲も自分たちでやっていて、むしろ僕の目標みたいな存在なんですよ」
「あの二人と一緒に歌のアルバム作りができるなんて楽しみね。私も二人のファンだと思うわ」
「手伝ってくれると本当に助かるよ。もち論、報酬ははずませてもらうし、取りあえず三ヶ月間の契約ということでお願いしたいんだ。それに、報酬は前金で払わせてもらうからね」
「本当ですか、それは助かります」
「そうよね。私たちがこのスタジオを利用する使用料だけでもばかにならないものね」
盲目の少女の存在を聞いても、この二人がそれを気にも留めなかったことに大場は安心していた。
純粋に音楽のことだけを考えていることが伺えたからである。
「でも、費用を負担するのは僕ではないんだよ」
「大場さんは、カワイガールズの二人とはどんな関係なのですか?」
「僕はカワイガールズが『オラシオンリング』を発売するときのマネージャーみたいな立場だったんだよ。今回、君たちにこの仕事を依頼して報酬を出すのは『カワイガールズ』の生みの親のような存在で、名前は河合智也と言うんだ。彼と僕とは高校生のときの同級生なんだよ」
「その河合さんが、カワイガールズの名前の由来なのですね?」
「環さん、僕もそうだと思うよ!それにしても、環さんの頭の回転の速さには驚かされるよ!」
「カワイガールズの名前の由来は、僕もそのように聞いているよ」
簡単な説明で二人は快くこの仕事の申し入れを承諾してくれた。
そして、次の週末にはこのスタジオでカワイガールズの二人と会って仕事の打ち合わせをすることも決まっていたのである。
奥居翔(しょう)は二十四才、住田環(たまき)は二十五才であった。
環の方が一才年上だったことが理由で、お互いを『翔ちゃん』、『環さん』と呼び合っていた。
二人は共にメジャーデビューを目指すシンガー・ソングライターであった。
しかし、現在の主な活動は路上ライブが中心で、これを行う会場が二人とも小田急線の新百合ヶ丘駅、多摩センター駅、下北沢駅、井の頭線の吉祥寺を中心としていた。
そのため、幾度か同じ会場で隣り合わせになってそれぞれのライブを行うことがあった。
これがきっかけとなって二人は知り合い、その後はわざわざ同じ会場で待ち合わせをしてライブをするようにもなっていた。
二人はそれぞれ自作の曲をすでに十数曲持っていたが、それをレコーディングするための費用を捻出できずに困っていたところにこの話が舞い込んできたのである。
作曲を手伝ってくれる人が見つかったことの連絡を受けた柴崎朱音と町田香織の二人は、待ち合わせ会場となっていた音楽スタジオで、この二人との初対面を果たしていた。
「無理なお願いをしてしまって申し訳ありません。私たちは盲目の少女とコラボして、盲目の人でも楽しめるミュージカルのような楽曲を作りたいと考えているのです」
「その少女は川瀬愛華ちゃんと言う、小学校六年生の盲目の少女なの。でも、詩を書くのが好きで歌の歌詞になるような詩を書くのがとっても得意なのです」
朱音に続いて香織も、これから自分たちが目指そうとしていることをせいいっぱい説明していた。
「盲目の人でも楽しめるミュージカルのようなものなんて、初めて耳にした企画だね。映像の部分はどうしようと考えているのかな?盲目の人たちには、映像は見られないよね?」
「それは私たちにもまだはっきりとした考えがまとまっていないのです。でも、とにかく曲の方を先に作って、それから考えるつもりです」
「あなたたち、カワイガールズの曲は私も聞いたことがあるわ。そして、とっても素敵な曲だと思います。できる限り協力させてもらうから、宜しくお願いするわね!」
奥居翔も住田環も、この少し変わった企画を手伝うことを快く承諾してくれたのである。