小学生低学年のとき、上級生のグループが私たちに近づいてきてこんなことを言いました。
「これを食べないと一緒には遊んでやらないよ」
そう言って、私たちに足長バチの幼虫を渡してきたのです。
私たち3人ほどの仲間は、いやいやながらも仕方なくそれを口にしました。
それだけ上級生の存在は大きなもので、決して逆らえないものだったのです。
もぞもぞと口の中で動く幼虫を歯の奥でかみつぶしました。
“とてもいやな味がする”
といった予想とは裏腹に、甘酸っぱい味がして、まずかったという記憶は全くないのです。
トラウマになってしまいそうな出来事でしたが、『それがまずくなかったこと』、『仲間と一緒に体験したこと』とが、むしろその後の自信につながる出来事になりました。
きっと、上級生たちも同じような経験をし、『意外にまずくないこと』、『仲間と共通の体験をしてつながりが深くなること』、を伝えたかったのだと思います。
最近の悲惨な事件を耳にすると、それを引き起こす人たちが育ってくる段階で、社会で生きていくための『従順さ』というものを身に付ける機会がないままに大人になってしまい、社会にとけ込めないでいるように思えてしかたがないのです。
何らかの形で地域社会がもう少し活性化し、みんなと泣き笑いしながら子供たちが育つ環境になって欲しいと思います。
近所の小学校でも毎日の防犯パトロールが欠かせないものになっているのです。
それから二十年ほど経ったある日のことです。
妻の買ってきたマックシェークを半分ほど飲んで、残りを飲み忘れていました。
しばらくしてからそれに気がつき、
『もう生ぬるくなってしまって美味しくはないだろうな』
と思いながらも飲んでみたのです。
案の定、甘いだけで、ぬるっとした感じが口の中に広がりました。
その時です。
『以前、これと同じような食感を経験したことがある!』
と思ったのです。
『ネクターのような飲み物だったかも知れないな』
『いや、飲み物ではなかったはずだ』
などと、いろいろと考えをめぐらせているうちに、子供の時に体験したハチの子をかみつぶしたときの食感であることを思い出したのです。
もちろんこんなに甘くはありませんでしたが、口の中に広がる感じが同じに思えたのです。
長野やその周辺の地域には、“ハチの子ご飯が大好物”、という人がたくさんいる村が多くあります。
人類の将来の食糧不足を解決するのは“昆虫食”だという学者も多くいるのです。
これを聞くと、『ハチの子ご飯なら食べられるかも知れない』、などと思ってしまうのです。
来年の4月30日に退位する天皇陛下も、子供の頃にはハチの子が大好物だと言っていました。
その息子の秋篠宮殿下も、大学生のころは“ナマズ研究会”に所属し、奥様になられた紀子様ともよく“ナマズ料理”を食べに行ったそうです。
きっと天皇一家には、食に対する地域社会的な新しい取り組みがあったのかも知れませんね。
昆虫を食べなくても済む未来になると良いのですが。 〔 カーネル笠井 〕