私の通っていた小学校に水泳プールができたのは、私が小学校3年生になったときでした。

それまでは小学校が夏休みになると、村の中央を流れる川の滝の少し下に、川原の石を積み上げて水をせき止めたプールのようなものを大人たちが作ってくれていました。

 

夏休みの午後、母からもらった五円玉を水着のポケットの中にしのび込ませ、水着姿のまま下駄をはいてそこに出かけました。

誰かと待ち合わせをしたりするのではなく、そこに来ている子供達と遊ぶのが当たり前のことでした。

また、年上の子は年下の子の面倒をみるのも当たり前のことでした。

 

知らないお兄さんに連れられて、その川の上流から川の流れに身を任せての川下りなども楽しみました。

滝の上からそこに飛び込んだり、上級生になると、もっと高い川岸からそこに飛び込むのが勇気を試す儀式のようになっていました。

そして、午後3時ころになると、『カラン、カラン』と大きな音で鐘を鳴らしながら自転車を引き、子供達のお待ちかねの“ボンボン売り”のおじさんがやってくるのでした。

 

1個5円のボンボンは、串団子を一回り大きくしたような形のゴム風船の中にジュースを入れて凍らせたものでした。

先っちょにつき出した細いへそを歯で噛み切り、そこから少しずつ融け出してくる冷たいジュースの味を楽しむのです。

まだ冷蔵庫のなかった時代ですから、子供達にとって、この上のない夏のおやつでした。

その味はというと、今で言うと炭酸の抜けた『オロナミンC』といった感じの味でした。

 

遊び疲れた私達は、暑い夏の夜でも、かやの中に入ってぐっすりと眠っていました。

これには、毎日のように食べていたキュウリ、トマト、ナス、モモ、スイカなどの食材が体を冷やしてくれていたのかも知れません。

 

そんな暑い夏の日の楽しみも、学校のプールが完成すると共になくなってしまいました。

川のプールでは、おぼれて死にそうになった子もいました。

私も、すり傷などの生傷が絶えたことがありませんでした。

やはり、学校のプールの方が安全で衛生的です。

それと引き換えにダイナミックな川遊びもなくなり、爽快な気分で食べていたボンボンも、少し物足りない気分で家で食べる羽目になってしまったのです。

 

子供達にとって夏の水遊びは一生忘れられない思い出になるようです。

 〔 カーネル笠井 〕