ベスト16止まりで終わった、日本チームのサッカーワールドカップ。
直前の監督交代劇などがあり、今一つすっきりしない気持ちながらも日本チームの全試合をテレビ観戦しました。
そして、日本チームの敗戦後もそれなりに納得した気持ちでいました。
ところが、先週の木曜日に日本人選手団が帰国し、その中の何人かの選手がインタビューを受け、各選手のチームメイトをねぎらう内容の受け答えを聞いているうちに、『失敗したな!』という気持ちになってきたのです。
今年の2月後半に、“ピョンチャンロス”にまでなったときのように、もっと真剣に、運命共同体的な気持ちになって応援すれば良かった、と後悔する気持ちになったからです。
前評判の割に、なかなか結果の出なかった日本人選手団にやきもきしながらも、毎晩のように応援していたピョンチャン(平昌)で行われた冬季オリンピック。
そのうち結果が出始めると、久し振りに張りのある毎日を送っていました。
羽生選手のフィギアスケートのフリーの演技のときなどは、見るのもためらうほどの期待と不安の気持ちが交差していました。
そして完璧に近いフリーの演技に鳥肌が立つほどだったのです。
翌日、知り合いの女性とそのことを話すと、その女性は羽生選手のフリーの演技は怖くて見られなかったそうです。
『あの感動の場面をリアルタイムで見られなくて残念なのに…』
と思いましたが、羽生選手の金メダルを私以上に喜んでいたのです。
やはり女性ということでしょうか。
きっと子供を持つ母親の気持ちというのは、こういうものなのかも知れないと思いました。
自分の感動よりも、相手の成功の方を優先しているのです。
ピョンチャンオリンピックが終わってからの私は、毎日の生活に張り合いを無くしていました。
そして、その女性も私と同じようにしばらくはピョンチャンロスになっていたのです。
今にして思うと、そのロスになっていた期間というのは、そのときに感じた感動を深く記憶に留めておくための熟成期間であったように思えるのです。
それは、多くの感動的な場面が、今でもそのときと同じように頭に浮かんでくるからです。
残念ながらすでに終了してしまった日本チームのサッカーワールドカップ。
次回はもっと各選手の胸の内をも想像しながら応援したいと思いました。 〔 カーネル笠井 〕