3~4才の頃の記憶は全くないのに、1~2才の頃の記憶で、まだ覚えていることが3つもあるのです。

その1つで一番古いものはこんなことです。

 

『真暗な押入れの座布団の中でうとうとしていると、ふいにふすまが開けられて明るくなり、誰かが手を差し伸べてくれたのでそこから出ていく』

というものです。

 

中高生の頃には、その他にもまだたくさんの記憶があり、その中にまぎれてあまりこの記憶の意味など気にもしませんでした。

ところが、年を重ねるにつれて多くの記憶が失われていき、一番古いはずの3つの記憶だけが残ったのです。

 

それはきっと、こんな事件だったのではないでしょうか。

まだよちよち歩きだった私が、たまたま開いていた押入れの中に入って、そこにしまわれていた座布団に包まれて眠ってしまった。

それに気が付かずに誰かが押入れのふすまを閉めてしまった。

しばらくして、大人たちは私がいなくなったことに気が付き、ありとあらゆる所を探し回った。

姉達もかり出され、近所の人達も集まってきていたのだと思われます。

このころはまだ5人組というものが残っており、何かがあると必ず力を合わせて対応する習慣も残っていたからです。

庭には池もありますし、家の周りには細い川もあります。

それでもなかなか見つからなかったのでしょう。

そんなとき誰かが押入れを開けて、そこで寝ていた私をやっと発見したのでしょう。

そのときの周囲の大騒ぎが子ども心に、

“今の状況は何か重大な事を意味するんだ!”

と感じ、そのことが頭の中に焼き付けられて記憶として残されたのだと思います。

 

2つ目はこんなことです。

『裸のまま、庭のすみで自分のしたうんちをビンにつめている』

というものです。

これはそのままの状況を誰かが見て非常に驚いた、といったことなのだと思います。

 

3つ目は2才になったばかりの記憶です。

『病院の屋根瓦の上に敷いた布団に寝かせられていて、そこからすぐ近くでおきた火事の炎と煙が見えた』

というものです。

私は2才になったばかりのとき、高熱を出したそうです。

そこで母親が近くの病院に連れて行くと、きっと風邪だろうとの診断がされ、薬をもらって帰ったそうです。

薬を飲ませても熱が下がらず、好きだったチョコレートを持たすと、そのチョコレートは私の手の中ですぐに融けてしまったそうです。

心配した父親が街の大きな病院に連れて行くと“急性盲腸炎”との診断がされ、すぐに手術したそうです。

もし1日遅れていたら命はなかったと後で話してくれました。

この記憶はそのときのものですが、盲腸になったことも、病院に入院したことも全く覚えていないのです。

ただ覚えているのが屋根に干された布団と、火事の炎と煙だけなのです。

きっと病院のベッドに寝かされているという特別な状況の中で、窓から屋根に干された布団と火事の場面が目に入ったのだと考えられます。

 

もしかするともっと深い意味があるのかも知れませんが、いずれの場合も周りが大騒ぎしている状況で、それが子供心に事の重大さを感じて記憶に焼き付けられて残されたものだと思います。

 

今頃になってこんなことがわかるなんて思いもしませんでしたが、こんな記憶が残っているのも不思議でなりません。 〔 カーネル笠井 〕