どこかの国がこうだからではなく、これはこうだろうとと現代の常識で考えられないのだろうか。国会もマスコミもどうかしている。
最近、原発に起因する東京電力の対応や無作法、愚行があまり語られなくなった。たぶん、無力感もあるんだろうが、税金をつぎこみ、平気で値上げをして社員はのうのうと暮らし原発批判をする人間は頭がおかしいくらいに思っている。
だけど、先日の福島第一の停電はお粗末すぎる。報告が遅れたとかはもはや期待していないが、原因がネズミとはあまりにもお粗末だ。2年もたってその程度が対応できないのなら、今後終息のための技術を10年で作り出すと言うのは妄言にすら思える。
すべて常識的に考えればいかにおかしく滑稽かが分かる。
原発、反対か賛成か。思考する前に終わり方の技術がないのに作るのは最初から間違えている。帰る方法がないのに宇宙旅行に出るようなものだろう。
経済が立ち行かない。経済の前に元気な人間がいないと話にもならない。
東電がないとすべての社会生活が成り立たない。バカにもほどがある。日本航空ですら救ったのだから国営にして、分離すればいい。買いたい人はいっぱいいるはずだ。だいたい社宅が便利な所にありすぎ。売ればいい。たぶん、国家公務員よりもいい場所といい建物に住んでいる。
一旦平地に戻して考えないと、いずれ崩壊する。
声を荒げない国民性に私は誇りを持っているし、辛抱強いのも世界に向かって自慢すらしたくなる。
しかし、もはや限界ではないだろうか。この反動はあまりにも強烈に来る気がする。
予想するような反動が来なければ立ち枯れする。
いや、そうなってもいいけれど、そうなっても国民は絶望せずに豊かな心もちで生きていける魂の平穏を身につけていればいいのだが。ならば、それでもいい。
嫌なら声を上げるしか我々にはない。無理をする必要はない、小さくていい、拳を振り上げてみよう、それも無理なら拳を硬くしてみよう。ゆっくりと憤怒の血が体中に回り始めるはずだ。
