次はなんでダートラを始めたのか、どんなダートラ一家で育ったのかを。

ちょっと長いかもですが…


祖父は十勝の帯広で整備工場を営み、冬のモタスポの大イベントである、「糠平湖氷上タイムトライアル」の創立者?でもあり、現在は競技長です。

糠平といえば、ラリー、ダートラ、ジムカーナ、ドリフト、芸能界(?)からも多数の名選手達にお越し頂き、30年通い続ける方もいるほどです。

僕からしたらただのじいちゃんなんですが、よく「お前!じじ凄いんだぞ!」と言われて「へぇ〜」とは言うものの、内心凄そうには見えないなぁと思いながら21年間過ごしてきました。コロナの影響で一年だけ中止になりましたが、45年間続けてきたのは確かにすごいよなぁ。

昔は北海道では知らない人がいないほどの改造車乗りだったみたいで、B310?だかのサニーとBFMRファミリアの改造車に乗ってたみたいです。全部知らないから「みたいです」しか言えません(笑)


父もダートトライアラー。EP82スターレット、エボ4、エボ6を乗り継ぎ、エボ4時代の2005年くらいにジュニアシリーズでチャンピオンになったみたい。

僕は父の影響で物心ついた時からダートラについて行ってたので、5歳くらい?からダートラ見てました。21歳ですが、ダートラ歴は15年あります(笑)。目はかなり肥えてます!

僕が父のダートラを見に行ってからは全く勝てず、記憶にあるのは新千歳のダートラ場で、父がスタートしてすぐに当時8歳くらいの僕は「嫌な予感するなぁ」と思ったら奥でゴロンとしてるランサーを見たことくらいしか覚えてません(すまん!)

今は息子にエボ6を取られてしまったので、僕の専属メカです(すまん!)。整備やら知識やらは一級品で、車のことは全任せで運転に集中させてくれてます。おっちょこちょいの父と不安がりな僕なので、出走前は「増し締めは?」「した」「エア見た?」「みた」の確認三昧(笑)

この前もエア見てるだろうと思い込んでたら全く見てなくて前後3キロ近くで走った事あったので、阿吽の呼吸なんてまだまだです…


僕はといえば、ダートラデビューは小学3年生!

糠平湖氷上でした。ちびっ子だったので、アクセルブレーキには足が届かないので、父の膝の上に乗ってハンドルだけ操作してました。1人で運転するのは中学1年の時、祖父に工場近くの空き地で「これでマニュアル練習しろ」と預けられたジムニーで一日中MT車の練習してました。そして本格デビュー(?)は高校二年生の夏。祖父の主催イベントの試走車でした。

コースはイーストジャパンオフロードスタジアム。別名「廃車コース」。

走ったら廃車になる訳ではなく、コース脇には様々な廃車があるからです(笑)

その中の廃車からマニュアル車のデミオを引っ張り出して、動くことを確認したら、「明日これでお前試走しろ」と。

ワックワクでしたが、なんせ廃車。苔だらけ…

そのコースには川も流れてるので、その川の近くまで車を持ってき、苔取り(笑)。

苔取れたら、みっともない走りはできないと、前日練習会があるので、混ざって練習。

廃車のデミオのスペックはフルノーマル、タイヤはスタッドレス。

半日中走り尽くして、タイヤがボロボロに。

FFだったので、一応ローテーションさせて翌日の試走に備えました。

そして試走1本目。ここから僕のダートラ人生スタート!

壊れてもいいって思ってたのでとにかくアクセル踏んでインリフトさせながら全開アタック(笑)結果はスイフトクラスでも3位のタイム!

気をよくしてしまったのか、2本目はガッツリギャップにとられてバースト…(試走なのに)

こんなダートラ人生のスタートでした。


そんな訳で3世代、3世目の僕でした。

長らくすみません…

次はもう全日本ダートラ第3戦かな?