11月4日(火)マヤ暦KIN225㊗️ツォルキンバースデー | 歴史の散歩道~KANAのひとりごと

歴史の散歩道~KANAのひとりごと

歩いて発見した大好きな場所、出逢った人たち~

女優&カラーセラピスト・上級食育指導士として日本の歴史を創った偉人たち(史跡・神社寺院・老舗)を歩き感じたKANAの思いを綴ってみました♪

あなたへの、新たな発見&気づき&癒やしになれば嬉しいです♡

2025年11月4日(火)
マヤ暦KIN225㊗️ツォルキンバースデー🍰🎉




旧暦9月15日 大安 丁丑(ひのと うし)十二直 たいら

潮回り 大潮/正午月齢 13.6/正午月相 12.4


11月3日(㊗️月)『文化の日』『明治節』
 先日参加させて頂いた『ビバシニア』配信されました〜😄🎶
私は仕事中🎥で、まだ聴けていませんが…

よろしくお願いします😊💕 



 『ビバシニア』配信〜ゲストは佐野加奈さんです✨
今日・明日とこれからCMの撮影に参加してきます。

1つのCM撮影なんですがいくつもの現場で撮影を予定していて、Bangchang2日間で4現場に行かなくてはいけません。

KANAさんとは1シーン(2日間)ご一緒です。



2日間の撮影も終わってお疲れ様会&KIN225㊗️ツォルキンバースデーしました🍰🎉





『ファーストキス 1ST KISS』🎥😄👌


今日は「縁結びの日」だそうです。 
なぜかというと、11月5日という日付が「いい(11)ご(5)えん」(いいご縁)という語呂合わせであることが由来となっています。
また、旧暦10月(新暦11月ごろ)に出雲大社に全国の神が集まり縁結びなどの会議をするとされていることも由来となっています。
「縁結びの日」については島根県の神話の国・縁結び観光協会によって制定された記念日となります。
一般的には縁結びといえば男女の縁を結ぶものとされていますが、恋愛などの縁以外にも、仕事の人間関係や商売相手など、良縁には恵まれたいものです。
しかし、実は既に交際相手がいる状態で、しかもカップルで縁結びの神社にいってしまうと、そのカップルは別れてしまうという迷信があります。
それは縁結びの神様がやきもちをやいてしまい、そのカップルを別れさせようとするそうです。

【縁結びの雑学】

※出雲大社はなぜ縁結

縁結びとして有名な島根県の出雲大社ですが、そもそもなぜ出雲大社が縁結びの神社として有名なのでしょうか。
出雲大社が縁結びの神社として有名になった由来は諸説あり、冒頭で解説したとおり10月には毎年全国から神々が出雲大社に集結して縁結びの話し合いを行うことも由来となっています。
日本神話の中では出雲大社の神が恋をして結ばれたという伝説も残っていて、天と地の神が出雲で話し合いをして友達となったという伝説もあります。
また、天の神である天照皇大神が「私は目に見えるこの世のマツリゴトをします。出雲の大国主大神は、目に見えない世界や縁などを担当しなさい」と言ったことも由来であるとされています。
江戸時代には出雲大社の神官が全国に布教の旅をしていましたが、訪問先で男女の結婚の斡旋なども行っていたそうです。
このように、出雲大社には縁結びで有名となる数々の由縁が存在しています。

※運命の赤い糸の由来となったお話

運命の赤い糸は日本の少女漫画などでもおなじみです。
見えない赤い糸で結ばれたもの同士は結ばれるなんて、何とも夢のあるお話です。
この運命の赤い糸の元になったお話は、実は中国にあり、「定婚店」という逸話に出てきます。
物語の内容は、主人公の韋固(いこ)が旅の途中で立ち寄った宿屋で冥界(あの世)の書物を読む不思議な老人に出会います。
その老人は冥界の役人で婚姻を司っており、その仕事は将来夫婦となる男女の足を赤い縄で繋ぎ合わせることだというのです。
そこで中々縁談が上手く行っていなかった韋固は老人に将来の結婚相手を教えてもらい、14年の月日を経て結婚に至る、というものでした。
今では小指に結ばれる赤い糸も、元は足に結ばれる赤い縄でした。
また、赤い糸は世界中でも災いから身を守るお守りであったり、幸運のお守りとして広まっています。
御利益は各国で違うようですが、赤い糸には何らかのパワーがあるのかもしれません。





今、自分のそばに

いてくれる大切な人は、

本当にたまたま

運良く出会えただけで、

もしかしたら

すれ違うだけで、

終わっていたかもしれない。

奇跡のように出会えて、

縁があって一緒にいられる。

だから、ずっと

大切にしていきたい。

失くさないように、

壊さないように、

そっと、そっと

守っていきたい。



運の悪い人は、
運の悪い人と出会って
つながり合っていく。

へんくつな人は
へんくつな人と親しんでいく。

心根の清らかな人は
心根の清らかな人と、

山師は山師と出会い、
そしてつながり合っていく。

実に不思議なことだと思う。

「類は友を呼ぶ」ということわざが
含んでいるものより、
もっと奥深い法則が、
人と人の出会いをつくりだしている
としか思えない。
 

どうしてあんな品の悪い、
いやらしい男のもとに、

あんな人の良さそうな
美しい女が嫁いだのだろうと、

首をかしげたくなるような夫婦がいる。

しかし、そんなカップルを
じっくり観察していると、

やがて、ああ、なるほど と
気づくときがくる。

彼と彼女は、
目に見えぬその人間としての基底部に、
同じものを有しているのである。



それは性癖であったり、
仏教的な言葉を使えば、
宿命とか宿業であったりする。
 

それは事業家にもいえる。

伸びていく人は、
たとえどんなに仲がよくとも、
知らず知らずのうちに、
落ちていく人と疎遠になり、

いつのまにか、
自分と同じ伸びていく人とまじわっていく。

不思議としか言いようがない。

企んでそうなるのではなく、知らぬ間に、
そのようになってしまうのである。
 
最近、やっと
この人間世界に存在する数ある法則の中の
ひとつに気づいた。

「出会い」とは、
決して偶然ではないのだ。

でなければどうして、
「出会い」が、
ひとりの人間の転機と成り得よう。
 

私の言うことが嘘だと思う人は、
自分という人間を徹底的に分析し、
自分の妻を、あるいは自分の友人を、
徹底的に分析してみるといい。

「出会い」が断じて偶然ではなかったことに
気づくだろう。

(『命の器』宮本輝著より一部要約して引用)

🔵宮本輝 ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E6%9C%AC%E8%BC%9D