1/7(日)新年明けての仕事始めで、ランチに初めて入ったお店のメニュー表が『エレファントマン』でビックリ👀💨
映画のパンフレットをちょうどメニュー表にしている時で…思わず『鉄道員』はそのまま残して~💕と初めてましてのお店なのに頼んでしまった(笑)
『鉄道員』高倉健主演 × 降籏康男監督・ 佐々部清助監督 × 木村大作撮影監督なんですもの🎦😄👍
追伸~
「🎦『鉄道員』いいの?」って聴れたから👌
↓
『鉄道員』主演は高倉健さん、監督は降籏康男監督、撮影は木村大作さんだし✨
女優してるんですが、ご縁を頂いていた故 佐々部清監督の助監督時代の作品で撮影秘話色々聴いていて💕・・・」って熱く語ってたのかな(笑)
パンフレット頂きました🆗😄✌️
p.s.翌1/8(月)は佐々部監督誕生日でした🎂
中野巡り(75)『路地裏イタリアン 51k』
『カフェ・ランチ巡り:路地裏イタリアン 51k』
2023年2月オープンしたイタリア料理店🍝🍸🍷※中華北京料理ではないよ(笑)
土日祝日のみ通し営業🍴🆗😄👌
ずっと行きたいな~と思いながら土日祝日にタイミングがあわなくて🍴

1/7(日)新年明けての仕事始めに🆗

ランチに初めて入ったお店のメニュー表が『エレファントマン』でビックリ👀💨






映画のパンフレットをちょうどメニュー表にしている時で…思わず『鉄道員』はそのまま残して~💕と初めてましてのお店なのに頼んでしまった(笑)
『鉄道員』
高倉健主演 × 降籏康男監督・ 佐々部清助監督 × 木村大作撮影監督🎦😄👍














「厚切りベーコンと木ノ子のパスタ」と
「渡り蟹のクリームパスタ🦀」迷って…
今回は木ノ子と食後のコーヒー🍝☕








「タイタニック⛴️」も、まだメニュー表作成前だったので読んだ💡



2階席(喫煙)はこんな感じ🚬


お会計前に
「🎦『鉄道員』いいの?」って聴れたから👌
↓
『鉄道員』主演は高倉健さん、監督は降籏康男監督、撮影は木村大作さんだし✨
女優してるんですが、ご縁を頂いていた故 佐々部清監督の助監督時代の作品で撮影秘話色々聴いていて💕・・・」って熱く語ってたのかな(笑)
パンフレット頂きました🆗😄✌️
p.s.翌1/8(月)は佐々部監督誕生日でした🎂
なんと翌日8日(㊗️月)も祝日『㊗️成人の日🎌』だったので営業していたから、昨日食べなかった『渡り蟹のクリームパスタ🦀』を頂きに🍝🍴



「高倉健の最敬礼」
野地秩嘉氏の心に響く言葉より…
今年の春、ある上場企業の経営者と私は近所の喫茶店に入った。
彼は、しゃべり始めた。
「撮影現場にいたんです、僕は」
…大学時代、RKB毎日で木村班というのに入れられて、ADのバイトをやっていたんです。
若い頃、勉強が面白くなくて、大学をやめました。
毎日、テレビ局で働きながら、将来はどうしようかと悩んでいたわけです。
番組のロケが始まった日のことです。
「おまえ、高倉さんをホテルまで迎えに行け」と木村さんから命令されました。
えっ、と思いました。
ひとりじゃ嫌だなあ、と。
周りにお付きの人がたくさんいるだろうし、無作法をして怒られたらどうしようと…。
ホテルに行って、1階のエレベーター前で待っていたんです。
そして、ドアが開いたら、あの大スターの高倉健がたったひとりでエレベーターに乗っていたんです。
呆然としていたら、私のそばに来て、
「高倉です。
よろしくお願いします」。
直角です。
90度の角度ですよ。
あわてて、私がごにょごにょ言いながら、なんとなく頭を下げたら、高倉さんは不動の姿勢で下を向いていました。
びっくりしました。
「こういう人が本当の大人だ」と感じました。
マネージャーも付き人もいなかった。
たったひとりで博多にやってきて、ホテルもひとり。
ロケの間もひとりで立っていました。
絶対に腰を下ろさない。
何の文句も言わない。
オレたちバイトには気を配って、飲み物とか食べ物をくれる…。
衝撃でしたねえ。
世の中には立派な大人がいるんだと思った。
だって、はたちかそこらの何もわからないガキに対して、最敬礼して、ちゃんと尊重してくれる。
そんな人いないです。
バイト仲間とはあの頃、「大人になったら高倉健みたいになりたい」と話しました。
いつの日か、立派な大人になるんだ、と。
…でも、すぐにはなれなかったなあ。
虚勢を張ってました。
自分に自信がなかったから、人に頭を下げることができなかった。
でも、ある日、ふと高倉さんの最敬礼を思い出して、「一からやり直そう」と決めたんです。
それから彼は変わった。
友人の父親がやっていた会社に入った。
年下の部下にこき使われながらも、一切、文句を言わなかった。
人に会ったときには最敬礼することにした。
年下のアルバイトやパートの従業員を大切にした。
態度のデカイ取引先にカッときたことはあったけれど、高倉健の我慢を思い出して、じっと耐えた。
そのうちに働きが認められ、社長から「関係会社の経営を立て直してくれ」と命令される。
私が会ったのはちょうどその頃だった。
初対面で彼は最敬礼した。
最敬礼し、なかなか頭を上げないから、「丁寧な人だな」と感じた。
そして、10年経って、彼は会社を公開させることができた。
「高倉さんにお目にかかることは一生ないでしょう。
でもあのお辞儀を見ていなかったら、自分はこうはならなかった。
高倉さんのおかげだと思う。
だから、作品はどんなものでも全部見ます」
◇『高倉健インタヴューズ』プレジデント社
高倉健は、1931年生まれ。
80歳を超えてもジョギングをし、声を出す訓練をやっていたという。
彼は私生活についてはほとんど語らない。
「映画以外のところでどんなに熱演してみせても何の意味もない」と思っているからだ。
映画で共演した、歌手の宇崎竜童氏は高倉健のことをこう語る。
「ささいなことですけど、高倉さんはしっかりと挨拶されますね。
打ち合わせで事務所に見えたとき、部屋に入るときは『おはようございます』。
うちのペーペーの新入社員がコーヒーを出したときにも、『ありがとう』。
食事をするときも『いただきます』…。
そのときの立ち居振る舞いはすごく美しく見えます」
(同書より)
高倉健は、撮影の間中、一度も座らないと言う。
自らを厳しく律しているからだ。
大スターでありながら、決して偉ぶらないし、驕(おご)らない。
真の大人は、多くの人に大きな影響を与えることのできる人だ。
※【人の心に灯をともす】
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中野巡り(74)『チキンレッグ中野店』