
熊谷『星溪園』
熊谷の発展に数々の偉業を成した竹井澹如翁により慶応年間から明治初年にかけて造られた回遊式庭園。
竹井澹如は、天保10年(1839)群馬県甘楽郡南牧村羽沢の豪族市川家に生まれ、幼名を萬平と言い幽谷と号しました。明治12年(1879)初代の県議会議長となり、政府の要職をすすめられたが、始終一貫、熊谷地方のために貢献しました。
熊谷県庁の誘致・旧熊谷堤の修築と桜の植樹・養蚕業の振興・私立中学校(セキテイ学社)の創設などの偉業を残し、大正元年(1912)8月74歳で永眠。
元和9年(1623)、荒川の洪水により当園の西方にあった土手(北条堤)が切れて池が生じ、その池は清らかな水が湧き出るので「玉の池」と呼ばれ、この湧き水が、星川の源となりました。澹如翁が、ここに別邸を設け、「玉の池」を中心に竹木を植え、名石を集めて庭園としました。
昭和初期、この地を訪れた前大徳牧宗禅師が、「星溪園」と命名。昭和25年に熊谷市が譲り受け、昭和29年に市の名勝として指定。平成2年から4年にかけて園内の整備が行われた際には、老朽化の見られた建物は数奇屋感覚が取り入れた上で復元されました。園内には、星溪寮、松風庵、積翠閣の3つの建物があり、お茶会などの日本的文化教養の場として、利用できます。
Kさんお勧めの庭園とのこと❤️
広いし、人はいないし(笑)
ゆっくりのんびり出来ます🦋🦋💕