絶賛上映中~8/13(金)公開の『フリー・ガイ』やっと鑑賞出来ました\(^o^)/
『フリー・ガイ』
何これヤバい❗⤵️💦 (オープニング)
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からの
超サイコーじゃん🎶⤴️ (エンディング)
ある意味ヤバい(笑)❗🎶⤴️
〈ストーリー〉
“ サングラス野郎 ” の天下でルール無用、何でもありの暴力に溢れた街 “ フリー・シティ ” で、毎日毎日同じ日常を過ごす銀行窓口係のガイ(物語の主人公:ライアン・レイノルズ)は、“ 理想の彼女 ” を夢みながら、今日も繰り返し強盗に襲われる。
そんな退屈(!?)なある日、“ 理想の彼女 ”と出逢い、代わり映えのない日々に疑問を抱き、遂に強盗に反撃し “ サングラス ”を奪い掛けてみると…。街中に今まで見えていなかったアイテムやミッション、謎な数値があふれていることに気がつき大興奮!そして、“ ここ(この世界) ”がゲームの中で自分はその “ モブキャラ(背景) ” だと気づきー。
もうオープニングの “ サングラス野郎 ” の天下でルール無用、何でもありの暴力に溢れた街 “ フリー・シティ ” が最悪で❗←私の嫌いな世界(笑)
え~こんな話しだったの?からの…
〈ゲームの世界から抜け出したモブキャラが世界を救う〉は、
エンドレスワールド&リアルとバーチャル(ゲーム)がごちゃ混ぜパワレルワールドかと思いきや… “ 理想の彼女 ” と “ 理想の世界を創造した (フリー・ライフ?) ”
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ここからは、《ネタバレ》とメッセージ性載せてますので、シークレットで💡
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もうモブキャラたちは羊(国民)だし、キャラクター・アバターたちは支配者・政治家?たちに見える❗❗💦
だから、恐怖に いつまでも両手を挙げる(マスクする😷)
早く、
自由で愛溢れる理想の世界に移ろうよ🎶
銀行(お金)もいらない💰️って、言ってたでしょう❤️🌏️🌈
【病をつくりだすのは自分自身である】
いちばん大切なこと、それは日本神道が語り伝えてきたこと。大自然と調和し、大自然の中にある、大いなる自然界の環境の中で、すべてが万象、万物が神の子であるという、その大循環の中で、その中に生かされている地上の人間たちも神の子の一部として感謝し、すべての者たちが助け合い、すべての大自然に感謝し、調和し、みなで手を取り合って、辛いこと、悲しいこと、悲観的なこと、そういうものを考えず、ただただ光を見、ただただ神のほうを向いて生きていこうと、明るく生きていこうと――。
闇の部分がけっしてないと言っているのではない。本来闇なしと言うけれども、悪なしと言うけれども、その部分がないとは言っていない。ただ光のほうを見続けることにより、闇も、悪も気にならなくなり、そちらのほうを見て、くよくよしている暇があるのならば、明るい明日を、明るい未来を夢見て、努力して生きていこうではないかというのが光一元の本来の教えなのである。
病においてもしかり。
そなたたちは心の中でまだ起きてもいないことを、くよくよくよくよ悩むことにより、体の中で自己処罰の概念というのを、意識の中で植えつけ、それが肉体に反映し、様々な病をつくってしまっている。
だから、新しい病が起きるたびに薬をつくっても、治療法をつくっても、その根本的な心の思いの中で、悩み、苦しみ、自己否定的な思いというのが、そういう悪いサイクルから抜け出せない限り、また新たな病をつくり出し、人間は自己処罰、永遠に自分を責め続けていくのである。
だから、大切なのは、病気や薬を――、
病気を治す方法、治療方法や薬ばかりを追うのではなく、
自分の中にある自己処罰の概念、否定的なところを見て、まだ起きぬ未来に対して、悩んで、苦しんで、自分で勝手に自分を悪いと決めつけていく、その思いから魂を、人類を解放しなくてはいけない。
反省をなくせと言っているのではない。
もっとあなた方は、本来素晴らしい可能性と、神性を携えた神の子たちであるという、いかなることも創造しうる、唯一無二の神の子たちであるという、そのような誇りをもう一度取り戻し、自らのできることのあらゆる可能性に挑戦し、それに振りかかることに対して向き合って行けるような、誇らしい人生を歩んでいただきたいと思う。
そのような思いさえあれば、そなたたちが悩み、苦しんで、病気で苦しみ続けることはなくなるのである。
神はけっして人間たちを罰しはしない。
それは今回そなたたちが学んでいることのひとつの中に、作用・反作用という言葉があるのを知っているであろう。
自分が出した思いが自分に返ってくる、その原因と結果の繰り返しの中で、誰があなた方を裁いたわけでもないのに、もう自分自らが、自分自身の神の子の本質が、自分を裁いているのである。
だから、急に心臓病になって死ぬ者がいたとしたら、なぜ急にそうなったのか考えてみるがよい。
どのような人生を送ったのか。何をしたのか。
それをいちばんよく知っているのは、魂の、神の子としての本人自身であるということ。
よいか。地上に生きている肉体を持っている者は、一生懸命自分をごまかすかもしれない。
でも、潜在意識の中にある本人自身の魂が、自分がどれだけのことをしてしまっているのかということ、それを見ている。
そして、それが無意識の形で、自己処罰の概念となって病をつくり、自分にとって最も苦しい、自分にとって最も嫌な形で、病気という形に表すことによって、自分自らが自分を裁き、苦しませることをもって罪滅ぼしをしているのである。
病のからくりというのはそういうところがある。
であるならば、今地上に生きる者たちよ、病が本来なしといっても、病の根本的なものは、そなたたちの心の持ち方にあるということ。
そして人生の一瞬一瞬を、神の子として恥ずかしくない生き方をせよ。
そうすれば、自己処罰の念というのは湧かないであろう。
勇気がないから、周りの者たちを悲しませたくないから、浮き上がりたくないから、だから自分を偽り、神の子として自分の本来の在り方でない生き方をしていく。
その時、いちばん最も苦しむのは、そなたたち自身の、本性としての神の子の部分の自分がいちばん苦しんでいる。
そして、、そのつじつまを合わすように、病という形で自分に降りかかったり、不幸という形で自分の人生の中に振りかかってくるのが、そういう形で起きてくるのが、この地上の不幸と呼ばれているものたちの現象なのである。
天之御中主之神『日の本の神ここに立つ』より

《追記》『キネマの神様』鑑賞\(^o^)/