奈良90分一人旅『氷室神社』⛩️🧊🍧
母「朝少しゆっくりしよう☀️」と言うので、朝食の時間を朝ドラ後に変更して👌
折角の “ 奈良🦌 ”
朝食前に奈良ホテルから1番近い神社『氷室神社』⛩️🧊🍧へ1人旅😄👍
*この時点では観光予定ありませんでした(笑)























元明天皇の御世、和銅3年7月22日、勅命により平城新都の左京、春日の御蓋の御料山(春日山)に鎮祀され、盛んに貯水を起こし冷の応用を教えられた。これが平城七朝の氷室で、世に平城氷室とも御蓋氷室とも春日の氷室とも言われた。翌和銅4年6月1日初めて献氷の勅祭を興され、毎年4月1日より9月30日まで平城京に氷を献上せられた。奈良朝七代七十余年間は継続せられたが、平安遷都後はこの制度も廃止せられ、遂に150年を経て、清和天皇の御世、貞観2年2月1日現在の地に奉遷せられ、左右二神を増して三座とせられた。以来、現在の春日大社の別宮に属し式年に営繕費、年中の祭礼等は、興福寺、春日社の朱印高二万石の内と社頭所禄三方楽所料二千石の一部によって行われたが、明治維新後はこの制度も廃せられ、専ら氏子と冷凍氷業界の奉賛によって維持せられて今日に及んでいる。また、本殿東側には末社として、南都舞楽の楽祖なる狛光高公を祀った舞光社がある。引用元:氷室神社公式サイト「ご由緒」
〈御祭神〉
闘鶏稲置大山主命(ツゲノイナギオオヤマヌシノミコト)←氷を作ってた。
大鷦鷯命(オオササギノミコト)←氷を献上された。
額田大仲彦命(ヌカタノオオナカツヒコノミコト)←氷を献上した。
今から1600年以上もの昔のことです。現在の奈良市郊外都祁村にあたる「鬪鷄(つげ)」という所で猟をしていた額田大中彦皇子が、その都祁の地の鬪鷄稲置大山主(つけのいなきおおやまぬし)が所有していた氷室を発見しました。そして皇子がその氷室の氷を天皇への献上品として差し出したところ天皇は大変喜ばれ、これがきっかけとなり日本古代律令国家に蔵氷と賜氷という制度が生まれました。
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