山本政志脳天映画祭初日2021.6.26(土)『ロビンソンの庭』舞台挨拶付きで鑑賞 | 歴史の散歩道~KANAのひとりごと

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あなたへの、新たな発見&気づき&癒やしになれば嬉しいです♡

『ロビンソンの庭』

お仕事(撮影)早く終わったので、観てきました「山本政志映画祭初日『ロビンソンの庭』舞台挨拶付き上映」( v^-゜)♪

この作品 “ 映画の神様 ” が降臨して完成したようで…(下記に詳細掲載)
出演作『脳天パラ』山本政志監督関連応援鑑賞😁👍

う~ん、今日は「知らないよりは、知ってる方が人生豊かになるな♪」って思う1日でした(笑)

山下監督曰く2回目鑑賞して「ロビンソン凄いなー!耐久力いるな」って!
今朝も早かったけど私は寝ないで耐えたよ(笑)
昨日の『Arc アーク』に続いて、これも長かった(笑)🤣

まだ、山本政志監督と山下敦弘監督のトークショー続いてます🎤←トーク中に書いてます👍

廃棄6箇所使った!?←撮影秘話💡
しかも撮影後ペイント消さなかった(笑)

『ロビンソンの庭』76/2021
















今日のお仕事こんな衣装で出演してます(笑)(^w^)

『脳天パラダイス』再上映&山本正志映画祭 k's cinemaで開催します🎉










脳天映画祭 プログラムD 「ロビンソンの庭」デジタルリマスター版 ①
6//26(土)18:45ゲスト:山下敦弘監督 

 色彩にこだわってみたかった。色彩にこだわるんなら35m/mでやるしかない。だがしかし、その為には、これまでとは比較にならない製作費が掛かる。金は無い。長者番付の1番から10番まで電話してみた。対応さえしてくれない。「世界は一家、人類皆兄弟」と言ってた笹川良一さんにも電話したが、兄弟になれなかったし一家にも入れてくれなかった。そんな時、秋葉原の通販会社「フレンズ・オブ・フリージア」社長佐々木ベジと出会った。というより押しかけた。宇宙や植物のエネルギーについて喋り合うと、「映画会社に入って、まともな方向から映画に取り組むようなタイプじゃない。自分の拠点を作った方がいい」と助言してくれ、ベジ氏の援助で「株式会社レイライン」を立ち上げた。俺にとって初めての社会参加だった。しかし、金稼ぎに全く興味がわかず、当時の相棒の関が実務を担当し、俺は経営にノータッチだった。活動停止中だったJAGATARAを復活させる為、日比谷野音でイベントをやったり、JAGATARAのアルバム「踊り明かそう日の出を見るまで」を制作したりしながら、「ロビンソンの庭」の脚本改訂、ロケハンなどを進めていた。レイラインを立ち上げて1年を過ぎた頃、奇跡が起こった。「山本は、やりたい事をやっとけば、必ず道が開ける」とフリージアの幹部から激励された翌日、アパート住まいの母から連絡が来た。なんと、母親に遺産が転がり込んだ。大分の一等地にある亡祖父母の金物屋をたたんで、土地をキティちゃんに、いやサンリオに売ったんだと。。姉妹で山分けして、一人数千万円。母は舞い上がり、象牙の印鑑や羽毛布団や大型TVを買った。俺は、母に言った。「そんな無駄使いをしては、ご先祖さまに惡い。社会貢献をしな」「そうかえー」「その為には、”映画”を作ろう。映画しかない」「そげんもんかなぁー」という、やり取りで「ロビンソンの庭」の製作費が舞い降りた。「ロビンソンの庭」は、キティちゃんに救われたのだ。www.notenfes.com


脳天映画祭「ロビンソン」から「てなもんや」へ

「ロビンソンの庭」は日本公開前に、1年近くベルリンを皮切りにあちこちの映画祭を漂流した。ベルリンである映画との出会いがあった。侯孝賢(ホウ・シャオ・シェン)の「恋恋風塵」だ。日本公開の1年以上前だった。小さい世界を繊細に描きながら大きな宇宙観を感じさせる豊かな眼差しにえれぇ感動した。日本から来ているジャーナリストに、いかに素晴らしい作品かを訴えたが、反応が薄い。何人かに言ったが同じ反応だった。この頃も今も、多くのジャーナリストは、自分の物差しを持っていない。どこかで評価されると、その物差しをバトンリレーしていくだけ。自ら発見し主張するってのが弱い。これは、映画だけじゃなく、今でも日本全体の伝統的価値観になってる。
 ベルリンで賞をもらい、その賞金でそのままNYに向かい。撮影のトムとライティングデザイナーのジムと再会した。トムんちで、「ロビンソンの庭」のVTRを各々の彼女も加わり鑑賞した。「ここは俺のアイデアだ」「この構図、いいだろ」と、トム&ジムの自慢話も飛び交い、あの地獄の現場がなかったかのようなピースなひと時を過ごした。
 帰国後、NYからの帰国便におまけでついていたチケットで台北に向かった、ここを経由してベルリンで知り合った香港の映画監督・評論家シュー・ケイに会いにいく為だ。滞在していた駅裏のスーパー安ホテルに訪問者。侯孝賢とプロデューサーの張華坤(チャン・ファークン)、映画監督の楊徳昌(エドワード・ヤン)の3人だった。3人の友人シュー・ケイが日本のアホ監督が来てると、連絡していたのだ。俺らは街に繰り出し、朝まで盛り上がった。
 数ヶ月後。ロカルノ映画祭で楊徳昌と再会。彼の「恐怖分子」が銅賞、「ロビンソンの庭」が審査員特別賞を各々受賞した。侯孝賢と張華坤とは、「バカカントク」と情け無いあだ名をつけられ、台湾で何度か再会したり、東京で呑んだり、大分の実家に遊びに来たりと、交流は続くことになる。「童年往時」と「恋恋風塵」の配給をやらないかと言われたが、さすがに俺の手による小さい公開では、もったいない。そのうち、2作品の日本公開が決まり、イイ着地となった。シュー・ケイの香港にも何度も足を運び、「ロビンソンの庭」の関西公開で大阪に数ヶ月滞在しているうちに、香港と大阪を舞台にした次回作を構想し始めた。「ロビンソンの庭」の映像詩とは全く異次元の、アジアと大阪が結託した突き抜けるアホパワー。「てなもんやコネクション」が動き始める。www.notenfes.com






お仕事早く終わったので( v^-゜)♪