昨日1/6(日)山羊座新月(日食)いかがでしたか?
おはようございます☀
新年会🍻 &山羊座日食(雪降りの為観られなかったけど)も迎え、新しい週が始まりした🎵
今週1/11(金)からは映画『この道』、1/18(金)『マスカレード・ホテル』、只今上映中『春待つ僕ら』『モダン・ラブ』と昨夜から始まりましたNHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』こちょこちょ映ってたみたい(笑)
引き続き&改めまして〜
今年もよろしくお願いいたします(^o^)/






【番宣】
今週1/11(金)映画『この道』
来週1/18(金)映画『マスカレード・ホテル』

只今上映中『春待つ僕ら』

『モダン・ラブ』
長野相生座ロキシーで公開が決定しました\(^o^)/
3月2日(土)~15日(金)長野相生座ロキシー
http://www.naganoaioiza.com/
なお、 福島 拓哉 (Takuya Fukushima)監督参加短編『Floating』収録オムニバス『プレイルーム』(出演:若林美保 わか みほ (Miho Wakabayashi)、 園部 貴一 (Kiichi Sonobe)、高橋卓郎、 稲村 梓 (梓稲村)と2本同時公開となります。
〈今月以降の『モダン・ラブ』情報〉
○1/18-29
神戸映画資料館※1/19、20舞台挨拶あり
●1/19-25
インド・コルカタ、アーハウス・アジア映画祭
○1/26-2/1
横浜シネマ・ジャック&ベティ※1/26初日舞台挨拶、1/27トークイベント
●2/16-23
イギリス・ロンドン国際映画祭
○3/2-15
長野相生座ロキシー※初日舞台挨拶あり
2019年も日本&海外と『モダン・ラブ』の旅は続きます。
「佐野加奈」は海外旅行の計画の為🚢✈(笑)、旅行会社通いつめてます(^_^)v←エキストラあるあるでわかるかな〜♪
昨夜1/6(日)から始まりましたNHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』
人力車に乗っていたりetc. こちょこちょ映ってたみたい(笑)
今年も「佐野加奈」を探せも(笑)引き続き、よろしくお願いいたします(^o^)/

昨年は〜
”河村隆一 “ 無限の生命 ” 20th アニバーサリー グランドフィナーレ”
そして、1/7は昭和天皇のご命日。
激動の昭和が終わった日でした。
『1989年1月7日昭和天皇崩御』
今年(平成31年)は今上陛下の譲位(退位)からの新天皇&新元号〜200年ぶりにお目出度いことですね🎉
〈ごとう孝二さんより〉
I LOVE JAPAN❤️〜世界を融和に〜
「1/7は昭和天皇の命日です」
1989年1月7日。
昭和天皇が崩御された日は今でも多くの人の記憶の中に残っているのではないでしょうか?
テレビでは一斉に特別番組が組まれ、夜は街から灯りが消えたのを覚えています。
昭和天皇は、1901年4月29日に誕生しました。
昭和天皇のお人がらを知る為のエピソードがあります。
1931年11月、鹿児島から軍艦に乗って帰京される際、船の上から昭和天皇がひとり挙手の礼を暗い海に向かってしているのをお付の人が目にします。
いったい、誰に向かって礼をされているのだろう?
と海の方を眺めると岸の辺りに住民が昭和天皇をお見送りする為に焚いたと思われるかがり火が・・・。
その思いに答える為、昭和天皇は、ひとり答礼を彼らに向かいされていたのです。
それを知ったお付きの人は、慌てて軍艦からサーチライトを点灯させ海岸を照らし出したといいます。
また、4人の内親王が続いて生まれ、なかなか男子に恵まれなかった昭和天皇に重臣たちから側室を進められたことがあったといいます。
しかし、昭和天皇は、「それなら秩父宮が継げばいいではないか」と不機嫌な口調で答え、皇后への思いやりを見せたというエピソードもあります。
昭和天皇が即位された時期は、日本が大きく変化していく時でもありました。後に天皇は、
「自分の意を貫いたのは2.26事件と大東亜戦争終戦の時だけだったと語っています。
2.26事件の際は、事件により混乱状態にあった軍や政府の中、昭和天皇は「自ら近衛師団を率いて現地に向かう」といい事件の急速な解決を急ぎました。
また、太平洋戦争の終戦時も一部の反対を押し切ってポツダム宣言の受諾を決断されました。
「爆撃にたふれゆく民の上をおもひいくさとめけり身はいかならむとも」
当時、昭和天皇がよまれた歌です。
戦後、日本にはGHQのマッカーサーがやってきました。
しかし、昭和天皇に会ったマッカーサーは逆に心を動かされることになります。
9月27日。
ただひとりの通訳を連れ、マッカーサーの元を訪ねられた昭和天皇。
マッカーサーは、パイプを加えたままソファーから立ち上がろうともしなかったといいます。
「どうせ命乞いに来たのだろう。」と思っていたのでしょう。
しかし、昭和天皇は、マッカーサーと挨拶を終えるとこう伝えました。
「私は、戦争の全責任を負う者として、あなたの国の裁決にすべてをゆだねます。
(つまり、極刑を言い渡されても受けるということです。)
ただ、国民は住む家もなく、着る物も不自由し、食べるのもままならぬ状態です。
どうか、この国民の衣食住のみはご高配賜れますように・・・」
この死を伴うほどの責任を引き受け、国民を思いやる態度にマッカーサーは骨の髄まで揺り動かされたと後に語っています。
敗戦後は、日本各地を巡幸され復興に励む人々と親しく言葉を交わされた昭和天皇。
普通、世界の国では、戦争に負けてしまえば敗戦国の王は、殺されるか、国外追放されるのが一般的です。
それなのに日本の天皇は、戦後たいしたお供も付けずに無防備なまま各地を巡幸している。
これは、他の国から見るとかなり驚きであったようです。
激動する昭和という時代の中、国民とともに歩まれた昭和天皇。
学校では、深く伝えることもなくなったように感じますが、
今一度、昭和天皇のエピソードなど調べ、知っておくことも日本人として大切なように思います。
〈ねずさんより〉
昭和64年1月7日の本日、昭和天皇が宝算89歳で崩御されました。
昭和天皇は、明治34(1901)年4月29日、明治天皇の初の皇孫(こうそん)殿下としてお生まれになられました。
明治天皇は、「名は裕仁(ひろひと)、称号は「迪宮(みちのみや)」とお命じになられました。
「裕」は、易経の「益徳之裕也」と、詩経の「此令兄弟綽々有裕」、書経の「好問即裕自用即小」、礼記の「寛裕者仁之作也」から。
「迪」は、書経の「允迪厥徳謨明弼諧」、「恵迪吉従逆凶」から採られたそうです。
なにやら難しい漢字が並んでしまいましたが、簡単にいうとは、
「広く大きな心で国を治め、人類の幸福に尽くすように」
という意味が、この「裕仁」の二字に込められています。
つまり「広く大きな心で国を治め、人類の幸福に尽くす」ことが明治天皇の理想であったということであり、
昭和天皇が生涯を通じてお心がけになられたことだということです。
それは昭和天皇の御生涯そのものでした。
不思議なもので、名前というのは、人の人生を決定づけるものなのかもしれません。
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