100万人超え長岡「祈り」花火大会! | 歴史の散歩道~KANAのひとりごと

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歩いて発見した大好きな場所、出逢った人たち~

女優&カラーセラピスト・上級食育指導士として日本の歴史を創った偉人たち(史跡・神社寺院・老舗)を歩き感じたKANAの思いを綴ってみました♪

あなたへの、新たな発見&気づき&癒やしになれば嬉しいです♡




今から約70 年前。

昭和20年8月1日、アメリカ軍のB29爆撃機125 機が長岡に襲来し、約900トンもの焼夷弾による無差別爆撃を行い、1484名が犠牲となりました。

この新潟県で唯一となる空襲は『長岡空襲』と呼ばれています。
その翌年の8月1日、犠牲者の鎮魂と焦土と化した長岡の復興を願って復興祭が開かれたのが、長岡まつりのルーツとされており、現在に至るまで“ 鎮魂や世界平和『祈り』の精神 ”が脈々と受け継がれています。

越後長岡花火の発祥は、天保12(1841)年播州牧野忠雄の領地替えが中止になった事を祝い上げた「合図」とされています。

長岡市ではじめて花火大会が開催されたのは、明治12年で遊廓の関係者がお金を出し合い、350発の花火を打ち上げたとされています。その後(大正5年から)、同じ新潟県内の片貝まつりと打ち上げる花火の大きさを競うようになり、「正三尺玉(30号)」を打ち上げるまでに。
戦後は「長岡復興祭」「長岡まつり」と名称を変更し、日本三大花火大会の一つに数えられる花火大会となっています。

「純白の慰霊の花火」
昭和20年8月1日の長岡空襲の発生時刻にあわせて打ち上げられるもので、午後10時半に純白の花火が3発打ち上げられることになっています。
「慰霊の花火」に合わせて長岡市内の寺院では、午後10時半に慰霊の鐘を一斉に鳴らし、前夜祭では、燈籠流し、大民踊流し、神輿渡御 も行われます。(出典)

米国ケネディ外交も観賞した長岡花火、めちゃ感動しました(*^^*)




前日急遽取れた有料席(代)も花火の一部となり、貢献&参加している感有りだし、主催者&スタッフ裏方のおもてなし感が最高!

皆さまのお勧め通り、私も日本(世界)No.1花火認定です(^_^)v

「一生に一度は!」のお勧めがまた増えました(笑)

来年、有料席取って一緒に長岡花火観賞しましょう(^-^ゞ


ご縁を頂きました皆さま、ありがとうございました!



朝から完食(笑)美味しく頂きました<(_ _)>