1980年前後にブームとなった竹の子族の原点、「ブティック竹の子」。現在竹下通りで営業中の店舗は、実は「原宿3号店」である。原宿1号店は、表参道の路地裏、今は“裏原”と呼ばれるエリアにあった。
表参道は、当時から一流ブランドが並ぶ高級感漂う空気があった。だが、
<表参道は、ちょっと横に入ると民家ばかりだった。しかし、人通りはある。これだな、と、直感した>
ブティック竹の子オーナーの大竹竹則さんの1981年の著書『挑戦の軌跡 逆境から生まれた竹の子ファッション』(スポニチ出版)に、そう書かれている。大竹さんは言う。
「ごく普通の住宅街だったんだよね。最初に店を出したのは世田谷の桜上水で住宅街だったし、いけるという自信はあったよね」
ディスプレー用に飾っていた、だぶっとした派手な生地の洋服。これを売ってほしいという若い客が増え、大竹さんの直感が働いた。これをベースに、着物ともんぺ、そこに天衣の要素を盛り込んだデザインを、原色の生地で仕上げる、独自のファッションを考案した。
<神代のころの服装に、答えがちゃんと出ていた。このデザインはどこから来たのか。それは、遠い、唐天竺。中国、インドから伝わって来たものだ>
これを「ハーレム・スーツ」と命名し販売したところ、ディスコ人気も手伝って大ヒットした。そして78年、満を持して原宿へ。
竹下通りのお店がオープンして間もなく、思わぬお客さんが顔をのぞかせた。
「山口百恵とアン・ルイスなんだよね。二人は仲がよかったからね」
そういえばアン・ルイスのヒット曲「ラ・セゾン」を作詞したのは、山口百恵(名義は三浦百恵)である。
「二人ともまだ結婚する前だよね。その後行ったアメリカ旅行の服を見に来たんじゃないかな」
調べてみると、その年の9月に山口百恵とアン・ルイスがアメリカ旅行をしたという記事があった。ニューヨークのディスコで二人で踊ったという。
ニューヨークのディスコで踊る二人、「ハーレム・スーツ」姿だったかもしれない。
