人の魂は、アストラルやスピリチュアルな世界で、事前に何某かの教訓を得て生まれてくる。

ある時、霊界の学校の教壇に、ラファエル老が立った。雄々しく輝かしい翼を持った、立派な天使だった。仮に彼と呼ぶことにする。もちろん、性別は既に超えているが。彼は、最前列に座っていた君を指差してこう訊ねた。

「宇宙の始まりに、何があったと思うか?」と。

君は迷わずこう答えた。

「大いなる力と意志です。」

すると、ラファエル老はすかさず聞いた。

「他には無いのか?」

君は言った。

「考えつきません。違うでしょうか?」

君は食い下がってこう質問した。ラファエル老は、ややはにかむような顔をして、君に言った。

「大いなる力と意志。そう捉えるのは、あなたがまだ女性だからです。」

すると君は懇願するようにラファエル老に言った。

「お願いです。捉えどころの無い話はやめてください。私は、何億年かかっても、宇宙の真理を悟りたい思いでいっぱいなのです。どうか、人を質問攻めにするようなやり方は、おやめ下さい。」

「そうか。では壇上に上がってきなさい。」

ラファエル老は君を手招きした。

「よいか。私の両肩に、大きな金色の羽があるのがわかるだろう。」

「わかりますとも。それこそ大天使様の象徴です。」

「この羽を、上下にばたつかせて、宇宙どこへでも飛んで行くのが天使だ。」

「はい。」

「それではどんな気持ちで空を飛ぶか?想像したことがあるかね?」

「私には想像すら出来ません。ただひとつ言えるのは。」

「ただひとつ言えるのは?」

「もし、私にそんな力があれば、どんなにか生き生きと、この広大無辺な大宇宙を自由に、自在に泳げるでしょうか。そのような環境と境遇が手に入りさえすれば、人々はだれも地上に生まれたいとは、思わないのではないでしょうか?」

「そうか。ところがそれは違うぞ。」

「どこが違うんですか?」

「我らが大空を翔るときは、我らの羽ばたきによって、我らより弱小な生命に迷惑がかからぬよう、かえってより良き事のみ起きるように、気配りをして飛んでいる。お前はそれなのに、ただただ自由を手に入れようとしている。本当の自由を手に入れたかったら、その自由が金銭的、人間関係的、精神的な全てをいう。思いやりの上にも思いやりを持て。きめ細かい親切の上にも親切。キリストが弟子の足を洗ってやったように、お前にもそれが出来るか?本当の力が手に入る時というのは、そんな時ではないだろうか。よし。今日の授業はこれで終わりだ。」

ラファエル老は、閉会を宣言した。

頭ではわかったつもりだが、ハートまで、どこまで浸透したかは定かではない。どうしたらいいかと考えあぐねている時、天使長のミカエルが言った。

「よろしい。今日は私と一緒に煉獄地獄へ行こう。そこで私達がどのように彼らを教導しているかを見るのだ。煉獄地獄というのは、この世でいうと、古い置き去りにされた炭鉱の中に、酸味臭のする、底なしの沼があるようなものだ。彼らは生きている時に人を思い通りにし、死んでもお互いを物として扱い、我が物顔に振舞おうとするが、お互いの想念によってかえって、苦しめられる。さあ、彼らの中の誰でもよい。一人でも救ってくるのだ。」

勇気を出して君は、煉獄の住民の一人に近付いた。やっとの思いで、手を差し延べた。

途端に、硫酸のような刺激臭が、君の両手の平から全身を駆け巡った。あまりの熱さと苦しさで、全身の皮が、ずる剥けてしまいそうだった。そんなこんなで、煉獄の霊を救うなんてとんでもないことだった。手当たり次第、ロープをたらしたり、ありとあらゆる方法を試してみたが、すべて無駄だったのだ。

その日の終わりに、大天使長ミカエルの前に静々と歩み出た。事の次第を報告するとミカエルは、遠くを見るような眼差しでこう言った。

「そうか。そんなにひどかったか。煉獄は。」

「はい。」

「今日お前は二つの教訓を得たのだ。」

「教訓なんてありません。」

「どんな失敗も、必ず教訓になる。」

「私にどんな教訓があったというのでしょうか?」

「第一に、彼らを毛嫌いしていたのでは、どうにもならんという事だ。彼らを毛嫌いしたり、怖がる心も、皆、エゴから生ずる。人を救うという事は、己の中のエゴとの戦いなのだ。もっと端的に言う。自分はこれだけ努力している。何の見返りもないとか。もう何年もこんなことをしているのに、状況がなかなか進展しないといったことだ。

第二に、そして原因を環境に転嫁してしまい、そこで簡単に人は努力というものを放棄してしまう。どれだけ固い決意をし・・、三日と続きはしない。

よいか。他人を愛し導くということは、恐怖心を越え、嫌悪の気持ちを越えること。

もうひとつは、怠惰な心を越えること。この二つの特性を身につけない限り、人を愛するという事は、容易いことではない。

愛は一見優しい。その中には強靭な意志が込められている。イエスが聖書の中で、

“私は斧を与えにやってきたのだ。”

そう言っているのはその為だ。

ヒーリングにせよ、カウンセリングにせよ、エステにせよ、気功教室にしても、己の能力を卓越したものに高めるために、まず己の心を強くせよ。先程の二つの条件を、守って、堂々と中央突破したものだけが、前へ進むことが出来る。前に進まないことを、時代や環境や親のせいにしてはならない。その環境で、何が出来るかが問われているのだ。それこそ魂の価値に他ならん。

かつてこの地球に、種々様々の宗教がはびこった。彼らは一定の儀式に則り、先祖崇拝や、自然霊を拝ませた。だがこの時代にあって、真の本尊とは、人間の心根の中にある。

『勤勉さ』と、『誠実さ』のみだ。この二つの心を欠いた人間には、真の神は降りぬ!

具体的に何をどうこうするという話ではない。どの様に考えて生きるかが大切なのだ。

そうすればそこに、一定の磁場と周波数が生まれる。それは必ず、遠心力のように、輪になって広がる。人に出来るのはそれだけではなかろうか。

恐怖を越えろ。怠惰心を越えろ。人は人生に思わぬことがあると、先祖や印鑑のせいにする。しかし、そうではない。人間としての心意気に欠けるから、道が開かぬだけだ。

今二十一世紀に、新しい本当の宗教の原型を啓示した。この教えを守り、後々まで伝えるがいい。この教えは、キリストが生まれる遥か以前、ラーマクリシュナ、ババジ、モリヤ、クートフーミらによって、目に見えない意識界に、連綿として伝わってきた教えだ。

神はこの地球をもとの状態に戻そうとしておられる。進めすぎた工業化文明。それが不幸しか生まなかったこと。人はまだ気づいておらぬ。

日本は土の国だった。土の命を無視した国は皆滅びた。かのモンゴル帝国も、二毛作を繰り返すことにより、やがて国土は不毛の地となった。アメリカもアラスカを中心として、栄養分を取り尽くした。中国は今度は重金属をばら撒き、大地の息の根を止めようとしている。

人間としての心意気。今の自分を、とことん引き受けなければならぬ。その自分を放棄しようとして、教祖に会ったところで、教祖は信者を思うように使うだけだ。

人間としての心意気によって、己の人生をひとつ残らず引き受ける。

これから先、何が来ようと、ニコニコ笑って引き受けるのだ。そうすれば数年を経ずして、君の周囲の環境は、変化していく。ひとりで何もかもやるのではなく、複数でやる事業が合っているだろう。理解と、信頼と共鳴の三つの要素で出来た輪を作れ。

よいか。さあ、てんしょうの息吹を吸え。そして息吹を吐く。今一度息吹を吸う。息吹を吐く。

セッション前と、今とでは、君自身の考え方が、まるで変わっていることに気がつくだろう。これが光のイニシエーションだ。よく覚えておきなさい。

よろしい。もとに戻るのだ。

 

 

 

 

 

アカシックレコード書記官