我が日本国には、高次元の御霊が多く生まれました。それは、我が国の霊域が遙かなる

宇宙の彼方、大いなる銀河中心の太陽、ラージャサンへと繋がっているからであります。

そしてこの日本国において、魂は心を中心として生きることを学ぶようにできております。しかし、はたして心を中心に生きるとは、何を意味するものでありましょうか。

今日は心を中心にして生きるということの意味を深く考えてみましょう。

 

時は650年前後。当時日本の社会は、聖徳太子がもたらした仏教、儒教、神道。どのようにして政治に取り入れ、我が国固有の宗教である神道と矛盾させず、民衆に不穏な心配を与えぬようにして、我が国に定着させるか。初めて中央集権国家が出来上がり、天皇家を中心とした平和な国を作ろうとして、国全体が新しい未来の方向性を模索しておった時代でありました。

そうした時代にかの偉大な聖徳太子は、あたかも自分が中国に行ったかのごとく、中国の皇帝の心をも透視し、偉大な政治を執り行っておりました。しかし彼は、時代を急ぎすぎたきらいがあったのです。あまりにも急進的に、家柄よりも、才能や実力を重視した彼の実力主義的な人事登用制度は、時の豪族の反発を招きました。こうして、志半ばにして、50歳になるかならないかの歳で彼はこの世を去った。

しかし、卓越した霊能者でもあった聖徳太子は、己が、陰謀によってやがて毒殺されるであろうことを予知しておりました。

 

時に、かの偉大な太子に、其方は側近くでお仕えする、大和姫という名前にて太子のお側でお仕えしておりました。

ある晩、太子は蝋燭の炎をじっと見詰めながらおっしゃいました。

「大和姫。」

「はい。」

「余は間も無く毒殺されるであろう。」

「えっ、何故ですか。太子様はまだまだ我が日本にとって、大切な必要なお方でございます。だれがいったいその様な事を。」

「判らぬ。ただ、間も無く私の命は終わろうとしている。それだけは判るのだ。」

「それならば、防ぐこともできようもの。」

「防ぐことはできぬ。」

「何故でございますか?」

「定めだからだ。」

「定めとすれば、何という悲しい定め。天子様のような偉大な明晰なお方。百年、いや

一千年待っても現れますまい。何か方法はございますまいか。太子様が召し上がるもの、予めこの大和姫、すべて毒見させていただきます。」

「それも考えた。」

「はい。」

「だが出来ぬ。」

「何故でございますか?」

「大和姫。わしには千年先も二千年先も見えてしまうのだ。」

「千年先も二千年先も、見える…」

「そうだ。おまえたちには予想もつかない未来まで見える。」

「いったい何時になれば、極楽浄土が来ましょうか?」

「まだまだ来ぬ。粗方世の中の礎が定まり、平和の兆しが見え始めるのも、今より、

一千八百年はかかるであろう。我が国は二つの巨大な国の板挟みとなる。」

「どの国とどの国でございますか?」

「ひとつは今すでにある。中国という国だ。」

「今ひとつは?」

「今ひとつは東の彼方に巨大な国が生まれる。」

「その国の板挟みとなるのでございますね。」

「そうだ。その時が大変革の始まり。天も地も獣のような声を発して、天軸も地軸も全て傾いてしまう。その時に、私の一筋の教えが必要なのだ。」

「一筋の教え。何でございますか?」

「よいか。それまでこの国は外国に勝ったり負けたりを繰り返す。そして2つの国が争い、

その板挟みとなった時に、初めてこの日本の国に託された、巨大な使命が判るのだ。」

「それはいったい、何でございますか?」

「知りたいか?」

「知りとうございます。」

「知ってどうする?」

「おっしゃる通り、たとえ知ったとしても、その出来事は千年も二千年も先の出来事なら、

それまでこの大和姫、肉体を長らえることはできません。しかし、知りとうございまする。」

「そうか。それはやがて、おまえが知ることになるのだ。」

 

今日はその時語られた、太子の言葉を歴史の闇より、本日初めて語ることになる。

 

「よいか。」

「はい。」

「わしは間も無く毒殺される。」

「はい。」

「その時に判るのだ。」

こう言われたものの、そなたは何のことやら察しがつかなかった。

あぁ、自分も太子の様な聡明な知恵が欲しい。何度思ったことか。いったい何だろう。間も無く判るとは、いったい何だろう?

そして、その判る大切な物事が、やがて二つの巨大な帝国の板挟みとなって、戻りうって苦しむときに、日本を救うたったひとつの手がかりになると。

太子の予言は的中したんだ。

 

ある雨がしとしとと降る晩、太子は突然体調に異変を起こされた。

「太子様!天子様!どうされましたか!」

「(苦しそうに咳き込み)大和姫…」

「はい。」

「わしは今すぐ…夢殿にこもり…未来の予言を書き残さねばならぬ。」

「そのお体で?」

「そうだ。(苦しそうに)毒が…回っておる。」

「天子様、どうすればいいのですか?」

「だから言った。おまえが…やりたいようにやるのだ。」

その晩からそなたは神道でいうところの、手当てという、即ち我らが使っておる気功の技を天子の体に必死でして差し上げたのだ。

それでも太子の病状は日に日にひどくなった。

「天子様。」

「何だ。」

「毒殺されたこと、公表なさって下さいませ。」

「それはならぬ。」

「何故ですか。」

「ならぬのだ。」

「判りません。」

「判らぬか。私が毒殺されたことが明らかになってみよ。人民はみな不安を覚え、政に対して不信を覚える。それでは再びこの日本国が真っ二つに割れる。そうすれば、いとも簡単に外国の侵略を招いてしまう。わしは病気で死んだということにしなければならない。」

「嘘をつくのはいやでございます。」

「政のためだ。」

「でも…」

「でもではない。苦しんでいるわしが言う。頼む、大和姫。おまえが知ったことは、歴史の闇に沈んでいく…後世の者は、誰もわしが…毒殺されたなどと思うまい。」

「しかし、お助け申し上げたいのでございます。」

「そうか。それならば好きなように致せ。」

こうして必死で、不眠不休で聖徳太子の背中に気を入れた。

(治れ…どうか治ってください。天下国家に必要な人です。治ってください。)

 

いよいよ臨終の時は近づいた。

「天子様。」

「何だ。」

「教えてください。」

「何をだ。」

「天子様、お約束なさいました。間も無くわかると。」

「そうだ。間も無くわかる。」

「判りませぬ。」

「大和姫。」

「はい。」

「何年わしの側に仕えている。心理はおまえの手でつかむものだ。」

「無理です。愚かなこの私にはわかりませぬ。必死で太子様の背中に、気を入れさせて

もらいますが、太子様、日に日に(やつ)れておいででございます。判りませぬ。どうすれば助けられるか。」

「判らぬか。」

「判りませぬ。」

「ならばもっと…心を込めて気を入れろ。」

「入れております!でも…天子様の体はどんどん衰弱していかれます。」

「大和姫。」

「はい。」

「時間が無いぞ。」

「時間が…」

「そうだ。わしの寿命が尽きるまでに…悟らねばならぬぞ。」

「ですが判りません!」

「大和姫。」

「はい。」

「頼む…気づけ。」

「答えは教えて下さらないのですか?」

「だめだ。おまえが知ろうと思わない限り、教えることは出来ぬ。そして、この聖徳太子が、未来の日本の人民に対して何が言いたかったか、その念波が伝わらぬ。おまえが必死でそれを摑めば、間違いなく、今この瞬間に、未来の時間と空間を越えて、未来へと繋がる。そしてそれが、遠き未来において日本を救い、世界を救う鍵となるのだぞ!大和姫!命がけで悟れ!」

「判りませぬ!」

「馬鹿者!判ろうとしろ!よいか。戦争に次ぐ戦争が続き、巨大な火の玉が二発、この日本の国で燃え上がる。そして、日本は奴隷の状態になり、やがて二つの大国の板挟みとなり、無理な要求を突きつけられ、日本国からはどんどんと財産が失われていく時、おまえの悟りが、必ずや救いとなる。」

 

聖徳太子が、現在の我々に千四百年の時空を越えて送っている思いとは何か?

今日はこの聖徳太子の念力が時間と空間の扉を開け、こじ開けられて、この現在の社会に

光のトンネルが出来上がる日なのだ。本日はそのような偉大な日である。

 

「判りませぬ、太子様。」

「判れ!」

「判りませぬ。」

「判れ!」

「太子様。一生懸命看病しましたが、救うことが出来ませぬ。」

「大和姫…」

「はい…」

 

息も絶え絶えの今際の際に太子が語った言葉、今より語る故、肝に銘じておいておかれよ。

 

「大和姫。これだけ気を入れても救うことが出来ぬ。結果は見えている。それでも救わんとする気持ち。最早どうにもなるまい。それでも止むに止まれぬ気持ちで、人を救わんとする思い。わしが言ったように、今より千四百年も経てば、人の心は物質に溺れ、結果が出なければ信じない、唯物論者の塊になる。病気が治れば信ずる、金が儲かれば神を信ずるという、結果さえ与えられれば神を信ずるという、魂のぬけた風潮が広がっている。」

「信じられませぬ。」

「大和姫。今のおまえからは信じられぬようなことが起きるのだ。その時代を鉄の時代と言う、法灯が消え、頼るものが無くなり、人は物しか信用しなくなる時が来るのだ。人類はその時大きな試練に直面する。太陽は振動し、黒点は増え減り、暑い年と寒い年が交互に繰り返しながら、やがて転変地異を迎える。結果が出れば信ずるという、精神の鉄の時代が来る。大和姫!魂とは何ぞ。結果が出ようが出まいが、止むに止まれぬ気持ちで、よいか、大和姫。」

「はい。」

「わしが死ぬか生きるか、一切考えるな。それでも手をかざさずにおられぬ。その気持ちが大事なのだ。止むに止まれぬ気持ちこそ、千四百年後の人類に必要な魂の力ぞ。わしは

今生はこのまま死んでいく。しかし最後までおまえは、それでも助けたいと思い続けるがいい。わしが死んだあと、それでも助けたいと。結果に囚われない生き方とは、そういう生き様を言うのだ!わしは生まれたときから、こうなることは判っておった。身震いした。行く手に死が待っている。それでもわしは生きた。先が見えていても、その道を行け。

大和姫。魂が試されるとはそういうことを言うのだ。」

彼の偉大な聖徳太子の遺言であった。

止むに止まれぬ気持ちで生きる。結果に生きるのではない。動機に生きる人間が、世相が混乱し、政府わっぱ、つまり、政治家は未来を語ることを忘れ、現世に汲々とした時に、ぽつり、また一人ぽつりと、衆生の人間の中から、魂に生きる人間が現れることを太子は信じ、千四百年後の我々に、時間と空間の扉を越えて念力を送った。その封印が、今年解かれる。覚えておけ。魂に生きるとは、結果に囚われないことだ。

最後に太子は言った。

「わしは六角堂に救世観音として祭られよう。否、わしは生まれる前は救世観音であった。皆々救世観音の気持ちとなれ。」

混乱に満ち、先の見えない今だからこそ、志に生きた聖徳太子の胆力が必要である。

 

本日我等一同、心の厨子を開き、法隆寺夢殿に眠る救世観音の本尊を心の中にいただき、

救世観音として生きようぞ。其方と本日ここに集まれる、志熱き方々に、聖徳太子より、心の中に救世観音をお送りする。

止むに止まれぬ気持ちがあったとき、癒す力が百万倍の力となって備わる。このこと努々、忘れるでない。

本日は偉大な日である。本日は誠に偉大な日である。

縁あって其方ら、キリスト教、仏教、地底世界シャンバラ、偉大な聖賢の来訪をうけ、世界的宇宙的使命は其方らに授ける。

 

 

 

 

 

アカシックレコード書記官