池江選手の復活は素晴らしく感動的なことだけれど、
そもそも本人はパリ五輪を目標にして頑張っていた。
今回の代表選出は望外の出来事であったはず。
それと東京五輪開催の件はまったく別の次元で語られるべきことで、
池江選手に便乗して利用しようと寄ってくる奴らは💩みたいな文字通りの糞野郎たちだと思う。
そして、オリンピックと、今回の開催の賛否と、選手個人の努力との線引きができずに、
ただ先導する糞野郎に乗っかってしまう人が多いことにも気持ちが萎える。
国としてのランキングの急落は、民度が的確に反映された結果なんだなと悲しくなる。
個人的にはオリンピックそのものの意義は現在では役目を終えたと思っている。
04年のアテネで大会自体を納めるべきだったという考えは変わってない。
国別に競うという意味にも疑問がある。
国籍変更の事務手続きだけで国家代表になる選手もいれば、
生まれ育った国ではなく代表に選出されやすいほうの国籍を選択する選手もいる。
いずれも本人のアスリートとしての実績や才能よりも、国家代表の枠に入ることが優先順位になっている。
世界ランクではなく、国代表で競うってなんだろう。
こないだまでソ連だった国は、今ロシア、ウズベキスタン、カザフスタン、トルクメニスタン、タジキスタンなど別の国単位だし、
その逆パターンもあるだろう。
サッカーでイングランド、スコットランド、北アイルランド、ウェールズなどのリージョン別で参加する国は、
オリンピックではUKとして一つの国で参加している。
今は各競技ごとに世界大会がたくさんあるんだから、国ごとの競い合いはそれでいいじゃないの。
オリンピックは祭典だ、という意見もある。
昔、冬の競技などやったこともない国がオリンピックを目指して即席チームを組んで挑戦するという、
映画にまでなった出来事があった。微笑ましく感動的だった。
お祭りだから、それもアリなのだ。というなら、
国家代表の選手も、出場したい人に手を挙げてもらい、抽選で選出したっていいじゃない、お祭りなんだから。
とも思うのだが、それじゃダメなの。
強さや記録を競うなら、世界大会があるからそれで充分でしょ。
実際、アマチュアの大会だったはずが今やプロも参加するようになってきたし、
年齢制限をかけて世界大会とは別カテゴリーとしている競技もある。
もう中身はぐだぐだなんだから、いっそお祭りに徹してしまえば、そんなシビアな選考をする必要もないのに。
今の強引な開催はただの利権の取り合い。
裏でお金を動かしている人たちの懐具合のために、それがいちばん大きな意義になってしまっていると思う。