- 前ページ
- 次ページ
授乳相談やベビークラスを受けてくださった皆様、至らない点も多くあったと思いますが、皆様の子育て時間をともに過ごさせていただけて、とっても幸せでした。
本当にありがとうございました。

おそらく地震なんだろうけれど、あまりの揺れの大きさに一瞬それが理解できませんでした。
揺れがおさまった後、とにかく保育園にいる息子を迎えに行こうと避難バッグを片手に家を出て迎えに行きました。
迎えに行くと、息子は穏やかにお昼寝中
安心したのもつかの間、比較的大きな余震が続きました。
さてどうしよう
夕方うちに遊びに来るはずだった80歳過ぎの祖母とは連絡が取れず、どうやら震源は東北らしいけれど詳しい情報はしばらくメディアに流れませんでした。
こんな日に限って夫は当直。
息子は夜から発熱
あー心細い
1人の夜だと思っていた矢先に、研修医からの同期の友達の自宅が停電しているとのこと。
ガスは止まったけれど電気はついていた我が家に避難してくることになり、
いつもなら20分あれば余裕で車で到着する距離のところ、激しい渋滞で2時間かけて到着しました。
夕飯は2人で電子レンジでチンできる冷凍チャーハンで済ませました。
日増しに東北の被害の大きさがわかるようになり、原発の不安も
この辺りもガソリンや生活物資の不足から、水や食料、資材の買いだめが発生しました。
おむつを買いに行こうと出かけたものの、子どもを抱きながらスーパーのあの長蛇の列には並べないと諦めて帰宅したこともよく覚えています。
あの日、逗子からわが家に遊びに来るはずだった祖母は大船駅で足止めされて、電車にも乗れず、なんと大船から歩いて携帯電話の明かりを頼りに帰宅していたことが分かりました。
祖母は「大船生まれだから道はわかったんだよ」と、後から笑いながら話していたそうです。
さすが戦争経験者。。。
生きるための底力を感じました。
ここ1ヵ月余り、コロナウイルスによる感染拡大による様々な不安が続いています。
店頭からトイレットペーパーが消え、人の行動や仕事が影響を受けて、学校もお休みになるなど、周りの状況が日々変化します。
突然休校になった息子2人は、実家に助っ人を頼んだり、いつもお世話になっているファミサポさんに頼ったり、2人で自由な留守番を楽しんだり、のんびり過ごしています。
私が3歳頃まで暮らした逗子の家では、今も祖母が一人暮らしをしています。
毎年いまも私のお雛様を飾って待っていてくれるので、休校で暇になった息子たちを連れて遊びに行きました
生きていくために変化に対応するのには、心身ともにとても大きなエネルギーが必要です。
そういう時に自分の基本を支えてくれるのは、何かのときには助けてくれる実家であり、いつも変わらず笑顔で迎えてくれる祖母であり、あの日同期と一緒に食べたチャーハンの味だなーと。
変わらないものの大切さを実感する日々です。
これ以上、コロナウイルス感染が広がりませんように。。。
東日本大震災で被災された方々の復興が益々進みますように。。。
院長 江田