さてさて、長女が、いつ頃から自立していたか?

もう30年以上も前の話ではあるが、

記憶の中から呼び戻してみよう。


最初は家の前の先生に習った。

年中の頃はさすがに私もついていった。

グランドピアノでのレッスンだった。


家でのお稽古時間は15分くらいから

30分程度、夕方のお料理の時間。

なにせ、キッチンの横にピアノがあった。


窓の外はお隣のお庭。

おばあちゃんのように可愛がってくれた奥様が、

お庭の水やりの時間なので、窓を開けて弾いてちょうだいとリクエストされていた。

懐かしいバイエルのピアノの音を、とても楽しみにしてくれたものだ。

聴いてくれる人がいるから、喜んで練習した。

騒音問題とはかけ離れた、メルヘンのような環境だった。


年長の頃からは1人でレッスンに通うようになり、

その後は長女のレッスンは聴いたことがない。

わからないことはどんどん質問出来る性格なので、とにかく、先生にお尋ねしたようだ。

あれよあれよとブルグミュラーに進んだ。


しかし、どんな時でもバレエを第一に、

次女の出産、先生のご出産など、

幾多の産休(と呼べばいいのか?)では

長期に休みながら、なんとか、

ソナチネまでこぎつけた。


さてさて、小学5年になり、いよいよ、もう1人ご出産された先生、随分と多忙になられて、

娘も週5のバレエレッスンとの日程が噛み合わず、

次の先生の門を叩いた。


もうその頃には、完全に自立した習い事となっており、バレエ9ピアノ1の割合だったが、

くだんのコンクールにエントリーして、

バレエ7ピアノ3くらいにはなった。

どんどん音楽的経験を積み、中学生ともなればまったく母親の範疇からは外れて、その後は

二度の受験も乗り越えて、大学生となる。


花が咲くのはその後だった。