記憶が薄れる前に書き残して置こう


家の前のピアノ教室に通っていた長女、

小学5年の秋に、歩いて5分の先生に

移った。

これまで支持していた先生が

子育てが忙しくなり、

円満に卒業させて頂いた。


そして、探したのがその次に近い教室だった。


みっちり一年間、コンクールにも出して頂き

中学生になった。

バレエに軸足のある長女は

週5のレッスンの合間に

ゆるくピアノは続けていた。

その後も高校、大学と長くレッスンに通い、

ピアノの華が咲くのは

まだまだ先のことである。


コンクールとは取り組み方を知らないと

なかなか芽の出ない世界である。


もちろんビギナーズラック的な

コンクールや、

特別な才能があれば違うだろうが、


音符の読めない母には

完全にアウェーの世界であった。


そもそも、そんなに、練習するのですか⁉️

という感覚しかなかった。


次女の最初の年は

今やっている教本より、

はるか上のレベルに課題曲があった。


バロックがテレマンのアレグロ、

その当時は低学年の課題曲だった。

これは譜読みも奏法ともに

手も足も出ない状態からのスタートだった。