さて、


時太郎爺様は、こちらの明治の女と、

駆け落ちで結ばれて、

愛する妻を、3回目のお産(27歳)で亡くしている。

昭和4年の11月24日の事である。


その頃1歳半の父は、

野辺送りの焼き場の火をつけた。

たった一つの母親との思い出である。



その一年後、昭和5年11月24日に

出稼ぎの地、北海道に生を受けたのが、

後に夫婦となる私の母である。


その母の2回目のお産で産まれたのが、

65年前の3月21日のこの私。


時太郎爺様の葬式で、

白装束の私を観た、里の人で、

亡くなった祖母を知っている人は、

あまりの生き写しに

驚いたそうだ。


母の胎内を借りて、

2度の転生をしたのかもしれない。


母と私は、夫として、、父親として、

尊敬と愛情をずっと持ち続けていた。


母が亡くなった後も、まだ私が、

父親を想って生きている。


幼児(おなさご)を亡くした母親は、

想いを繋ぎ、

私の身体の中に転生して

棲みついたいのかもしれない。


時太郎爺様が亡くなって52年。

信心深かった爺様を、知る人はもう

この世にわずかばかりになった。


祖母に至っては、

もう、私と兄だけだ。