3月21日、私の誕生日である。
なんと、明日で65歳、世にゆう高齢者の仲間入りである。
大きな病気もせず、ここまで来れた事、
未熟児で産まれた赤ちゃんが、
良く育ったものだと思う。
親の願いがよく叶い、
身の丈も160センチを超し、
いまだにスポーツを楽しむ運動神経も、
孫たちからの称賛を浴びている。
特に男児の孫からは
「これ、おれのばーちゃん、ボール強い‼️」
と、友達に紹介してくれる。
ドッチボール等球技は得意としている。
65年前に産まれた時は、
父方の祖父の時太郎が、
「お彼岸に、よくぞ産まれてきた。
でかした、でかした」
と、産後の母を労ってくれたそうだ。
その時太郎は、私が13歳の中学1年の誕生日に
76歳で亡くなった。
その年はうるう年で、いつもは祝日だが、学校で訃報を聴いた。
52年後の、今年もうるう年、21日は平日という、
ちょっとした輪廻を感じる。
小さな時から時太郎爺様さまは、
「じーちゃんの葬式の時には、
赤いおべべ(振袖)を着ておくれ」
と言っていた。
奥能登の布浦地区では、未婚の孫娘に晴れ着を着せて
お披露目を兼ねるとの風習があった。
13歳でまだ振袖の用意もなく、
大人裁ちの白い和装を着せてもらった。
お参りをする私の姿を観て、
ちょっとしたざわつきがあった。
今夜はここまで、
つづきは、明日。