萩城の有料区間のメインは天守台と志都岐山神社、そして指月山となりますが、実は有料区間外にも見所多いのは訪問した事ある方々ならご存じかと。
有料区間から東側に抜けた場所
左側の高台が「展望台」と書かれていたので、登ってみると
台風一過なのでもっと濁っていると思ってました。
(ただ漂流物は流石に多かった模様)
下に降りると海岸線に出られる場所がありました。
ここ二ノ丸の土塀だったんですね。
ちなみにこの入口は潮入門と言うそうな。
ここは萩城の中の絶景ポイントの1つに間違い無し・・・でもこの石垣、現存何でしょうか?
もしそうなら、石垣の石は塩害の影響は無いんですかね?
(鉄腕DASHでは確かに防波堤に建てられた石積みが現存している場所もありましたし)
個人的には是非現存であってほしいです(`・人・´)
そういえば中国地方で日本海見たの初めてだな・・・まだ生まれてこのかた山陰行った事無いので。。。次の遠征地は山陰かなw
(沖縄も捨てがたいけど、長距離運転困難な今行っても何も出来ないような気が・・・w)
まずその前に旅行費を蓄えないといけないんですが(汗)
もういっちょ奥、入口側が南門跡となります。
関ヶ原合戦時には割りを食った館がありますが、徳川家康をして、
「毛利輝元公を兄弟の様に思っている」
と、毛利家に対しては悪からず思っていたとされております。
西軍の大将となった毛利家なので、本来ならば断絶させるべき家を減俸で治めたのも、攻め潰す気は無かった証拠になるのではないでしょうか?
天樹院というお寺跡地にあります。
見るからに藪蚊が沢山巣食ってそうな場所(汗)
突当りにお墓があります。
右が毛利輝元公、左が夫人のものとの事です。
残念な事に天樹院は大政奉還後すぐ(明治2年)に廃寺となってしまい、墓所のみがのこされたとの事です。
そして墓所域にはもう1基お墓がありまして
長井元房という家臣のお墓です。
毛利輝元に深く恩義を感じていた為、輝元が無くなった際に殉死したとされており、ここにお墓が残されております。
この長井元房という人物が可愛がっていた猫が、元房の亡くなった後墓石から離れず、49日後に後を追う様に亡くなったとされており、その経緯からか元房の住んでいた附近(現在の萩博物館周辺)の地に「猫町」の名が残されているとの事です。
・・・猫エピソードになるとお城の事すら忘れて入りこんでしまうカルビンでした(-ω-;)ゞ
といった感じで萩城回はこれで終了となります。
次回も萩関連の記事の予定ですが・・・どんな感じの記事で行こうか検討中ですw
もしかしたら@2回萩の記事になるかも・・・
でわでわ( -ω-)/