臼杵城続きます。



櫓門をくぐった先は



臼杵護国神社の敷地になります。



石垣は周囲にちらほら見られるものの、西側は門から先にはお城の遺構がほぼ無いです。



護国神社はしっかり参拝させて頂きました(-人-)



なぜここに稲葉一鉄の解説が・・・?


解説によると稲葉一鉄はもともと愛媛の河野氏に関係していて、諸事情により岐阜の土岐氏の元に移動したんですね。

※詳細は後で確認しておきますかw


護国神社の少し先に、大友宗麟のレリーフが。



その脇にはフランケンフランキー砲が。


大友宗麟って、勢力を奪われたり、身内でゴタゴタ起こしたり、しまいにゃ秀吉に助けを求める等、大名としては無能にしか見えないんですが・・・


意外とvs島津では、圧倒的な兵力差で押されても守り切ったお城多いんですよね。。。


ここ臼杵城もそうですし、まだ行っていない(行けないかもw)角牟礼城もそうですし、宝満山城も岩屋城の玉砕のおかげとはいえ落ちてませんし。



・・・これは大友宗麟ではなく、その配下の人間たちが優秀だったということでしょうなw

(大砲を入手する等切支丹で有る事を利用した宗麟の手腕と言えなくもないですが)



北西側にある石垣門跡



石垣が長細い山城を囲うように設けられていますが・・・だからといって防御力が各段に上がる訳でもなく。。。そんなに堅固には見えません。


ま、おそらく北側は当時海に面していたハズなので、こちら側はそこまで堅固にする必要なかったんでしょう。


でなければとっくに島津に抜かれていたと思われ。


(・・・そういえば島津って少ない人数で釣り野伏で大軍蹴散らすイメージあって強いイメージありますが・・・実は城攻めは苦戦のケースが多いような。。。家康と同じで城攻めは苦手だったかも?!)



舗装された土橋



鉄門跡にある石垣



いきなり現れた現存石垣堀・・・深いな(驚)


ここまでの見学では臼杵城、なんで続100名城に選ばれた?と思ってましたが、流石にこれ見て納得できました(汗)



卯寅稲荷神社・・・大友宗麟が建立との事。


さぞデカい神社かとおもいきや、



予想を超えてコンパクトでした(-人-;)




これで見学していない残りは東から東北側を残すのみ



本丸跡地もここに含まれます。



先程見た石垣の深い堀と、土橋を挟んで逆側に大きな堀・・・


つづきは次回に持ち越します(汗)



でわでわ( -ω-)/