こんばんは。



3ヶ月くらい前から「城びと」に登録させて頂いておりますカルビンです。

https://shirobito.jp/

知らないお城や情報の無いお城を訪問するのに重宝してますが・・・中には立入出来ない場所や、遺構も解説も城碑も何も無い場所も登録されてまして(登城済にした人嘘つきって事だよねw)



その反面、逆にまだ登録されていない場所も多く・・・

古戦場もお城として扱われたり・・・

オッサンにはほぼ登城困難な女子高・女子大内にあるお城がやけに多く登録されてたり・・・



結局他の方の記事やサイトを合わせて情報得る必要があるのは変わらないんですね(笑)


ま、有力な情報源なので、今後も御贔屓にさせて頂きマッスル<(`ω´)>ラットスプレッドト!w


ちなみに今回upしますお城は、「城びと」にはまだ?登録されていない場所になります。


JR御殿場線・下曽我駅より北東に向かった先に



鳥居と「曽我兄弟遺跡城前寺」の碑があります


鳥居はこの日訪問しませんでしたが、宗我神社のもので、同じく曽我兄弟に所以のある神社です。




更に北東方面に進むと



曽我五郎の沓石


曽我兄弟弟・五郎が足の疾患から治癒した際、体力の衰えを確かめた際に思いっきり力んだら足が石にめり込んだんだそうなw


これがその石・・・

 


土肥城にある源頼朝の踵落としで凹んだとされる岩といい、この時代の作り話って大げさで子供じみてますなぁ(笑)





沓石から少し戻った場所を右手に入ると



碑石にも書かれてました城前寺に。

もちろん御本堂を参拝(-人-)


鐘付堂

六地蔵を始めお地蔵さんが沢山

先程あったものとほぼ同じ事が書かれた碑石(曽我兄弟之遺跡)

城前寺の入口に解説があり、この場所が曽我城の大手口であった事が書かれております。


残念ながら曽我城の遺構は残っていないとの事と、この日記憶を頼りに曽我城訪問した為、更にここから東北東方面にあった、曽我城の本丸跡地とされる場所にあった曽我祐信宝筐印塔を見学出来ませんでしたorz

(1時間迷って諦めたw)

ちなみに城前寺の裏手には


それなりの地位にいた方々のものと思われるお墓がありまして、



右側の2つの墓石が曽我兄弟の両親 父:裕信、母:満江 の墓


左側の2つの墓石が曽我兄弟 兄:十郎裕成墓、弟:五郎時致墓



曽我兄弟像



曽我兄弟は富士の裾野で親の仇工藤佑経を討った後、兄弟別々に打ち取られてしまいます。


特に弟五郎時政は源頼朝の目の前で生きたまま鋸で首を斬られるという壮絶な最後を遂げます。


このエピソードを見ても頼朝の狂気が見られますな・・・やっぱりヤバいヤツやん(="=メ)






ちなみに曽我兄弟の物語りは関連する小説を1冊読んだだけで知識薄いので、もっと勉強したいと思います。


曽我兄弟の無念が少しでも晴れる様、今度はちゃんと曽我祐信宝筐印塔と宗我神社を訪問・参拝したいものですな。



でわでわ今回はこの辺で( -ω-)/