天澤寺から鶴岡市内に戻ってきました・・・もう10km以上は猛暑の中(確認したら当時の最高気温は34、35℃くらいだったそうな(汗))は自転車で移動していたので、ケツが痛い&汗かきすぎてジーパンが汗吸ってサドル部と擦り切れ気味(超危険!www)という、ものすごく不快な状態の中、やってきたのは
加藤清正正室・正応院と息子・忠廣の眠る本住寺にやってまいりました。
山門横に「南無妙法蓮華経」の石碑ありましたが、とある小説の影響で、カルビンは清正は法華宗だと思っていたのですが、実際は日蓮宗だった模様で、当寺も日蓮宗でした(-ω-;)ゞ
で、息子・忠廣が肥後藩を追われ減封されて庄内藩預かり扱いになった際、同宗の縁で丸岡城が出来るまでここ本住寺で過ごしたそうです。
ちなみに本住寺、元々は浄土真宗のお寺だったのが、14世紀に改宗・開山したそうです。
御本堂(-人-)
忠廣・正応院のお墓は目立つところに案内があるのですぐに解ると思います。
ただこの日はお盆休みで地元のお墓詣りの方でごった返していた為、ちょっと人の目が気になるシチュエーションでした(汗)
で、すぐ目に入った廟所。
もうこれだよね?ってすぐわかると思います。
誰かが穴開けたんだ・・・酷い事するもんだ・・・と思っていたら、ここから中にお賽銭入れる為の穴だったんですねw
(確かに穴綺麗に開いてたし、良く見たら中にお賽銭箱あったww)
先程も書いた通り、じっくり見学させて頂くシチュエーションでは無かった(し、なにより日向は日差しが厳しかった(-ω-;A)ので、足早に移動する事に。
ちなみに御朱印帳持参(御首題帳も)しておりましたが、一昨年の同じ時期にお寺訪問して、お盆と言う事で御朱印・御首題のご対応は忙しくて困難なところ多かった為、本住寺もお墓詣りの方多かった事からお願いするのは遠慮しておきました。
神社はお盆は直接影響無い(ハズ)なので、この時期は神社用の御朱印帳だけ携帯していれば十分ですね(^ω^;)
次は鶴岡ではメインの訪問となる場所へ。
ちなみに自転車のサドルが暑くなってて、汗で濡れていたジーパンが一気に乾いた・・・ような感覚がありましたwww
では今回はこの辺で( -ω-)/