こんばんは。


6月に入ってずーっとオールタイム不安状態続いてますカルビンです(lll-ω-lll)


家族・親戚・会社(仕事・人間関係)と心安らぐ事なくてねーーー(汗)



折角の休みの日の散策すらもすぐにそれらが気になって心ここにあらずになってしまいます。。。


うつ病にならないようにしないとな(-ω-;)






さて、いよいよ(やっと)今年のGWのお城紹介ラスト1ヶ所の記事になります。


4/30に愛媛県から岡山駅まで移動して宿泊し、5/1は早朝から岡山城⇒備中松山城⇒備中高松城と見学して帰る予定だったのですが・・・


どうしても備中松山城から備中高松城の見学順がダイヤ的にも高松城の資料館の開いている時間に間に合わない可能性が大きく

(松山城の見学時間とふいご峠からのバスの時間が全然合致せず、1時間強の歩きになる可能性高かった)


ならばまだ未訪問の鬼ノ城と一緒に、後日岡山空港からレンタカー借りて見学すれば良いよね。。。って、前日寝る前に予定変更w


んで、始発電車で現地に向かう為、早朝の岡山城の見学も止めて



高知城に来てました((@Д@)えぇぇぇぇ(汗))



うーん、だったら最初から高知に止まれば良かったんじゃね?って思います・・・今更ジローですw


ちなみに岡豊城も寄って置けば・・・とも思いましたが、今回は備中高松城訪問を優先したのでパスする事に。

(他にも桂浜や香川・徳島の続100名城、更に今回スルーした琴平等も行きたいので、岡豊城はその時に訪問すればいいかと思った次第です・・・いやいや、高知城もそこで行けばいいやん。。。という考えはその時には全く無かったです(-∀-;))



前日の胃痛がぶり返すと、備中松山城に行ってしまうと我慢するしか無くなると思ったのも高知城に変更した理由の1つでして・・・

(なら前日なぜ無理して能島見に行った?っていうのは聞こえません<(-Д-)>)


と言う事で高知城やってきてしまいました(・ω・)ゞ


ついにカルビン、四国全県訪問となります(^ω^;)

※滞在時間短いけどねww



お城にあるこういう石段、歩幅が中途半端で、右足で登って同じ段左足、また右足で登って・・・って絶対に片足に負荷かかる歩幅が多いと思います。


・・・カルビンの足が短いせいか?!(-Д-;)



仲間由紀恵さん千代が上川達也さん一豊の出世の為に実家から結婚資金として送られたお金で買ってあげた名馬の像


新撰組あたりから大河ドラマ見始めて、功名が辻・風林火山・天地人・真田丸はほぼ欠かさず見ましたが、それ以外はあんまり面白くなく、すぐに見なくなりまして・・・基本一度見なくなるとずーっと放置でしたが、女城主直虎に関してはむしろ終盤が面白かったので再見しましたねー


高知城では功名が辻のシーンがリフレインしてました(^ω^;)



なかなかもったいぶって木の陰に隠れて全容を現さない天守


たしか一領具足と争っている間には天守は完成して無かったんですよね?



当時の一領具足を知らないので何とも言えないんですが・・・TVや小説に出てくる一領具足ってゴロツキのイメージが強く(んで、その親分が長曾我部元親)、どうも平和主義のカルビンには好かん人種で御座います・・・

実際には違ってたりして・・・刷り込みっておそろしいw



色々な石垣を見てきたので、流石に物珍しさは感じませんでしたが、良いものは良いです(・ω・)


それに高知城に関しては有る程度高い所にあるとはいえ、坂が急ではなく、そこまで高くも無いので登城しやすい部類に入り、メタボにやさしいお城になってます(笑)


・・・いやぁ、そう考えると同じ四国にある100名城、登城シンドイところ多いですよね(徳島城・丸亀城・湯築城・松山城はどSな高さですw)


今書いた5つの城、足は攣るは脱水症寸前になるわ、胃痛抱えてたわ、・・・等々ロクな事無かったww



途中大きな黒い門があってこの裏を進むんかな~って思っていたら・・・


なんとここ通過するんですねヽ(゚◇゚ )ノ

ちなみに詰門でした。



ここは土足OKになっていましたが・・・ちょいと殺風景。

これが良いんだよ~っていう方勿論いるとは思いますが、何か兵のオブジェとか置いても良かったんじゃないかな?と思ったりして。。。



詰門を抜け、天守&本丸御殿に到着。


そういえば自分の知ってる本丸御殿ある場所って、川越城・掛川城と名古屋城とここ・・・山内一豊、5割バッターぢゃないですか(笑)


のっけから撮影OKの看板は有りがたいね~(^ω^)

こうやって目立つ様にしてくれているの、他には岩国城天守くらいしか思いつきせん・・・海外からの観光客にも優しい設定です(・ω<)b


御殿内を進み


駕篭、カモ―ン(←親父Gwww)


欄間(「らんかん」ではありません。「らんま」です)

功名が辻で仲間由紀恵さんが実際に撮影で着用していた着物・・・だそうなw


一通り御殿内を通過し、蔵のような場所から天守へ

模型その1

天井低かったです・・・大物を育てるにはもっと高くしないと駄目だってCMで行ってたましたよ~ww

模型その2・・・どんだけ~IKKO


最上階恒例の天井撮影


現存天守ではありますが、流石に現代の手で補修されてますよねw





高知城は山内一豊が、長曾我部時代から徳川の世に変わった証として土佐国の中でも利便性がよかったこの場所を本拠地に選んて建てたお城なんですよね~


最上階から見えるかな?とは思ってましたが、残念ながら海は見えなかったなぁ

(見えてたらこの後予定していた備中高松城の訪問止めて、桂浜行っていた可能性大ですww)



そんなに高い山登ったイメージは有りませんでしたが、松山城と同じくらいの高さを感じました(@ω@)



祭り事はからっきしなイメージの山内一豊ですが、これだけの建物作れるってことは、ただ槍一本でのし上がってきたわけでは無いんですね。

ま、実際に千代の多くの助言が役に立っていたらしいですが。


ちなみに大河ドラマでは勇猛というより思慮深いイメージでしたが、実際は福島正則ばりに猪突猛進だったそうな(だから猪右衛門って呼ばれてたんだ・・・ちがうか(笑))



しかしどのお城に行っても天守の階段て急角度ですなぁ

そういえば千代の実家とされる遠藤氏の居城・郡上八幡城はお客様にやさしい角度の階段だったと記憶してます(再訪しないとなぁ)


天守を一通り見た後、最後に東多聞櫓を見学

そうそう、こういうのを詰門の廊下に配置すれば良いのに・・・って思ったんですよw



こちらは山内家ではなく長曾我部家関連の展示場みたいになってました。


地元ではどう思われているかわかりませんが、カルビンのイメージでは同じ高知県でもこと高知城に関しては山内一豊カラー一色ですね。



長宗我部元親、嫌いではないんですけど・・・ちょっと自己中心的で暗いイメージがね~。。。能力高いのは間違いではないんですが・・・


やはり長男を戸次川の戦いで仙石久秀(ごんべ)に殺された(も同然)為に燃え尽きた感がありますな(;ω;)

※実は長曾我部家を危険と感じた秀吉が仙石久秀を使って無理矢理に島津に倒させたとされる説も・・・





一通り建造物見学したあとは本丸御殿の正面にあった黒鉄門から下りる事に



同じ針葉樹でも、南国だと葉(針葉)の量が少ない気が・・・(汗)


最近気になる城域にある鐘付堂

やはりお寺とは違う使われ方したんでしょうな


どのお城もそうですが、表側は繁栄していて人も多いのに対し、城域の木々に囲まれた日影部分って基本人少ないですよね。


こういう所の石垣こそ良い味出しているのにw



折角の高石垣も、閑散としているとなんか勿体ない(-ω-;)



なーんて歩いてたら、一回りして二ノ丸の所に戻ってきてしまいました(笑)




二ノ丸は最初通過した時は何も無い広場と思ってましたが、天守上から見た時になんかあるぞ?って気付いたので帰りに寄るつもりではありました。


狙って到着したのではなかったのですが結果オーライで(笑)



水路遺構

雨の多い高知では欠かせないものだったそうです。


長宗我部期の石垣・・・長曾我部氏もここに城造っていたんですね。。。知らなんだw

 

そもそもようこんなところにあったの発掘したなぁ(-ω-;)



下まで降りてきて、追手門


そういえば各地にある門、大きさに差はあるものの、高さがどこも同じくらいの感じしますね(・Д・;)





追手門外にある城碑



そういえば高知城の入りは水堀からだったな。。。


最初見た水堀には鯉がいっぱいでしたが、追手門脇の水堀は蓮でいっぱいでした(・ω・;)



どこにあるのか判りませんでしたが、やっぱりあった山内一豊像


奥さんの像があって城主のが無いと格好つかないですしね(汗)

かなり間隔開きましたが、この2日で湯築⇒松山⇒今治⇒高知と久しぶりに元祖100名城回れました。

 

残る場所がおいそれと行けない場所ばかり・・・今年どこか行けるかなぁ・・・




といった所でかなり長くなりましたが、今回はこの辺で( -ω-)/

(やはり数回に分けてupすればよかったorz)