勝幡城から始まった、主に信長に纏わる史跡巡りも終盤に差し掛かった所。



・・・すでにここの前後を記事にupしている(前・道三塚、後・岐阜城ニアミス)んですけどねw



相変わらず時系列がなってないカルビンの記事であった(-Д-)






岐阜駅からはちょっと遠いので、バスで来るのがオススメかと。



丁度目的地の目の前にバス停があるのでご参考まで(・∀・)



さんざん歩いた為、ヘロヘロでたどり着いた祟福寺


でもここで一気にテンションUPです(←現金なヤツw)



ここには織田信長・信忠親子の供養塔があります。


信長のお墓関連は京都・静岡に続き3ヶ所目・・・京都が本命、岐阜が対抗で、静岡が穴ってところでしょうか?

(最近競馬もご無沙汰でーすw)



山門には信長公没450年のポスターが・・・そういえば岐阜駅前の黄金像の前にカウントダウンパネルあったっけ。





稲葉一鉄寄贈の鐘


西美濃三人衆とありますが、自分は美濃三人衆と認知していたんです。



ってことは、東美濃三人衆もいるのかな?w





関白一条兼良卿寄贈の門・塀


信長時代の関白ってどうしても近衛前久しか思い浮かばないんですよね。。。


近衛前久は実際明智光秀(実行犯)や羽柴秀吉(逃走ルートを塞いだ)をたぶらかした信長暗殺の首謀者であるのが濃厚なので、個人的にはこの時代で一番嫌いです(-"-メ)




許可を頂きまして白壁の扉の向こうへ



突き当りにあるのが信長・信忠の供養塔




供養塔の向かって右側にあるのが位牌廟となります。


廟所にお墓や供養塔ではなく位牌が入っているのは珍しいのではないでしょうか?




岐阜はもともと土岐氏が支配していて、斎藤家は土岐氏の家臣だったんですよね。


斎藤道三や伊勢新九郎が主家を超える力を身に着けていった頃が下克上の戦国時代が始まりのきっかけになったのは間違いないでしょう。





・・・信長の廟所へねこまっしぐら ε=ε=ε=( ^ΦωΦ^)/


だった為、最初完全にスルーしていた枯山水ww

折角一生懸命管理してらっしゃるだろうに罰当たりなww



御本堂は有料ではありますが、拝観口から入って拝観する事が可能です。

 


御本堂には信長の孫・秀信(三法師)が関ケ原合戦前に東軍に攻め落とされた時の配下の菩提を弔う為、岐阜城の血の付いた床板を祟福寺の天井に張り巡らしたのがきっかけの血天井があります。


その血天井も含め撮影は控えました(展示品もあったので、確認するまでも無く止めておいたほうが良い思いまして。)






書置きではございますが、


「信長公菩提所」「南無延命地蔵」「南無聖観世音」の三種類の御朱印を授与頂きました(-人-)



岐阜県は信長ファンにはたまらない場所なんでしょうけれど・・・いかんせん東京在住の自分には簡単に訪問できないのが辛いところですなぁ(涙)


折を見て@2、3回は訪問したいところですし、続100名城になった大垣城も再訪したいし、関ケ原もコンプリート出来ていないので・・・何回行けば事足りるんだろう・・・orz





いつもより余計に予算と時間と健康が欲しいカルビンでした( ;∀;)/