こんばんは。
ひたすら眠いカルビンです(-ω-。)zzz
寒暖の差に体が猛烈に熱を帯びて、それに伴い食前食後問わず眠いんですわ。
先日8時間は寝たのに・・・別にその前に寝不足だった訳でも無いのに。。。困ったもんですw
(おかげで早朝出発の散策が出来ない今日この頃(・ω・;))
さて今回は以前記事upしました、三島大社と三枚橋城を見に三島・沼津を訪れた時のネタで御座います。
三島大社から歩く事約10分で
宝鏡院に到着
足利尊氏の三男・足利義詮のお墓があるのでやってきました。
例の如く他の六つも含めて存じ上げませんwww
供養塔と石像・・・足利家に何か関係あるのでしょうか?
室町幕府2代目征夷大将軍・足利義詮と、堀越公方・足利政知の塚
政知は室町幕府8代将軍・義政の弟ですが、息子茶々丸に殺されてしまいます。
その茶々丸も伊勢新九郎(北条早雲)に倒されたわけですが、その指示を出したのが義政というのがなんともやり切れない事ですなぁ。
ま、茶々丸は悪名高かったので自業自得だった説が多いんですが(汗)
そして・・・御本堂の撮影をしていないという醜態orzスイマセン
さて東海道本線にて沼津駅へ移動。
沼津駅からちょっと歩きますが、駅から南西方向(県道163号線沿い・380号線との合流するちょい手前)に
妙伝寺
訪問した際、丁度法事中だった為にお参りと目的の武将のお墓詣りのみとさせて頂きました。
御本堂(-人-)
道沿いの塀の所にある、門を入ってすぐ右手の「南無妙法蓮華経」の石碑の左の石碑が、徳川家家臣・大久保忠佐のお墓になります。
大久保一族は徳川四天王等の陰に隠れてあまり名前が出てきませんが、一族の力を持って大抵の事は無し遂げてしまうという優秀な一族だった模様。
関ヶ原合戦後に大久保忠佐は沼津2万石の城主となりましたが、徳川幕府で勢力をもった大久保一族をおそれた本多正信・正純親子の策略で、忠佐死後、弟・彦左衛門(三河物語作者)を残して大久保家は断絶となってしまったのは痛恨の極みだったでしょう。。。
ま、その正純も宇都宮城で家光をつり天井部屋で亡き者にしようとしたの疑いで佐竹家預かりの身に落ちた訳ですが・・・
・・・なんか某CMの柳葉vs妻夫木を思い出すwww
でわ今回はこのあたりで( ・Д・)/